約 1,503,309 件
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/1738.html
チョウシ 列伝 張飛の長女。劉禅の皇后(敬哀皇后)。母は夏侯氏(夏侯覇の従妹)。 【演義】 劉禅が帝位に即いた時、諸葛亮らの上表により、17歳で皇后となる。 【正史】 221年に太子・劉禅の妃として宮中に入り、223年、皇后に立てられた。237年に逝去し、妹が劉禅の皇后となる。妹が張皇后と呼ばれるのに対し、敬哀皇后と称される。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 56 79 58 66 78 337 135 193 順位 - - - - - - - - 偏差値 - - - - - - - - 成長期 - - - - - - - - 能力持続 - - - - - - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 B B C C C C 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 - - - - - - - - - - - - 順位 - - - - - - - - - - - - 偏差値 - - - - - - - - - - - - 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技 昂揚 敵部隊を倒すと気力回復(+10) マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 75 -- -- --- -- 4/5 1/5 5/5 207 221 237(31歳) ---- 剛胆 剛胆 普通 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 -- ○ ○ ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 張氏 親愛 関平、趙雲、張飛 なし 嫌悪 なし なし 星彩にしては弱過ぎる気もするが、親愛武将を見ると星彩ぽい。 婚姻補正で劉禅隊を大幅に強化出来るのが最大のメリット。 が、それでも能力・適性・特技全て微妙なので、主力に据えられる程でも無い。 兵力が余ってるなら、残り一枠で適性を補正して弩か兵器で後方支援が無難。 -- (名無しさん) 2011-01-13 00 47 59 親密武将がネタに走り過ぎであるwww まあ、見過ごせるレベルだが。 -- (名無しさん) 2012-10-08 15 50 33 不倫の匂いしかしない親愛‥‥あとちゃんカワイソス -- (名無しさん) 2013-03-15 12 51 08 ↑ 不倫にしては、歳が離れ過ぎているだろうに。 そういう趣味の女性ならともかく、兄のような存在としての親愛だろう。 それはともかく、武力以外は三流武官レベルなので、劉禅との出陣は最後の手段として、普段はどこかの人数の余裕がある部隊の副将にでもしておこう。 -- (名無しさん) 2013-03-15 18 59 05 公式プッシュが凄まじい無双の星彩だが、その反動かかなり控えめの能力値。 婚姻関係で劉禅を超強化(全能力10倍以上だ!)できるが、前線で戦うためにはさらに適正・統率・知力の全てに補完が必要で意味が無い。寿命の関係上育成している余裕もあまりない。 しかし仮想シナリオでは、準一級クラスの武力を持つ女性武将としてそこそこ魅力的な存在。前線で主将を張ることになる計略軍師の配偶者にでもすると力を発揮できる。 -- (名無しさん) 2014-04-09 22 03 00 育成しきっても1.5流といった所だが、「万能型武官」の雛形としては結構悪くない能力値。強化すれば少なくとも夫を前線に出せるぐらいにはなる(姜維あたりと義兄弟になったほうが早いとか言わない)。 なぜか政治が武官としては非常に高め(実は義兄弟の子供達中トップ)で、+低1発で70に届くのも魅力的。 星彩なんだし、敬哀皇后でなくて張皇后の寿命だったなら、劉禅ファンには能力ブースターとしてそれなりに利用価値があっただろうに。 -- (名無しさん) 2014-07-16 05 10 46 顔グラがまんま後ろ髪を伸ばした星彩。が、この能力と適正では使い道に正直困る・・・ いっそ適性全部C、戦闘面は全部一桁でもいいから魅力がもう少しだけ高ければ、S7で夫の発掘用オプションになれたんだがなあ。 -- (名無しさん) 2014-10-06 17 57 11 というか全シナリオにおいてデフォでの劉禅との婚姻関係がないので、別に組み合わせて運用する必要はないのだった。 後期に多い高統+低武力+高知性タイプの奥さんにするのがベストか。 -- (名無しさん) 2014-10-11 00 50 25 とすると、蒋琬の嫁にすれば止められない兵器部隊ですな。 -- (名無しさん) 2014-10-13 11 23 41 英雄集結シナリオでは劉禅と婚姻関係になってるぞ。CSPKで確認。 -- (名無し) 2014-10-13 18 48 24 本当だ、英雄集結だけは婚姻関係があるね。しかし乱舞にもS7にもないのによりによってなぜこのシナリオで・・・? 功績値が無い劉禅は使い道がないから配偶者補正で戦場に出せるようにしたよ!ってことなのかもしれんが、張氏自体の能力が実戦レベルに達してないしなあ。 劉禅のほうは無理して使うなら兵1で釣りや囮に使うべきだし、こっちは枠が余った部隊に昂揚目当てで突っ込んどくのがベストか。いずれにせよ、配偶者補正が活きることはまずなさそうだ。 -- (名無しさん) 2014-11-12 00 56 48 完全に無双意識の親愛関係(当時阿斗ちゃんはアイテムだったりしたので親愛に無いのは仕方ない)。 無双の関平の想いを成就させてあげたい方は彼と結婚させてみるのもあり。ただし、配偶者補正は全くいきない。 -- (名無しさん) 2016-10-29 22 07 33 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/423.html
このページは数あるニコニコ歴史戦略ゲー動画の登場人物について、各動画内での列伝をまとめていくものとして用意しました。 主役級の活躍を見せた人物はもとより、名脇役、好敵手からネタ☆キャラまで幅広く紹介されるページになることを願います。 ここでは三国志の人物について扱います。 参考用リンク先(需要のありそうなものがあれば随時追加推奨) Category 三国志 - Wikipedia :史実についての参考リンク 幻想水滸伝・三国志を知らないけど、興味ある人の為の解説サイト ニコニコ歴史戦略ゲー 武将紹介 公開マイリスト :史実武将紹介動画 武将別解説 - 三国編 :iM@S架空戦記シリーズ補完wikiより三国武将紹介 『三国志の登場人物の一覧』 :ニコニコ大百科での三国志人物項目一覧 武将別伝(三国志) ア行 ハ行 ハ ヒ フ ヘ ホ カ行 カ キ ク ケ コ マ行 サ行 サ シ ス セ ソ ヤ行 タ行 タ チ ツ テ ト ラ行 ラ リ ル レ ロ ナ行 ワ行 邢道栄(ケイドウエイ) 厳顔(ゲンガン) 厳綱(ゲンコウ) 厳白虎(ゲンハクコ) 厳輿(ゲンヨ) 邢道栄 (ケイドウエイ) [部分編集] (演義の登場人物)劉度配下の武将。大斧の使い手。「諸葛亮に舌戦を挑み、張飛、趙雲と切り結び、劉備を言いくるめ、諸葛亮を罠にかけようとするなど、どんな名将であっても躊躇するようなありとあらゆる挑戦をやってのける」(アンサイクロペディア)。最期は趙雲に一撃で討ち取られた。劉備軍の荊州平定を引き立てる役割で、演義にのみ登場する。 ケイの字が出ないので「刑道栄」で代用されることがある。愛称「 KDA 」。 三國志IX 統率 62 武力 77 知力 35 政治 15 三國志11 統率 61 武力 80 知力 41 政治 16 魅力 12 戟兵A 劉度シリーズ (歴史を修正・歴史に挑戦・魔王に挑戦) 【三國志Ⅸ】 +初期メンバー、最後まで一軍、紙芝居レギュラー参加、顔グラ差替 劉度軍が誇る猛将で、騎馬隊長として最前線に立ち続ける。 顔グラはなぜか最初から三国志大戦のものに差し替えられている。 これがあまりにもお馴染となってしまったため、他動画で元々の顔グラを目撃した時に違和感を覚える視聴者も多数。 劉度で英雄集結・超級 【三國志Ⅸ】 +武神 部隊を率いては数万の敵軍を追い散らし、一騎打ちでは格上の武将相手に金星を上げまくる。 劉度軍エースとしてその武を存分に発揮しまくる「武神」KDA。 上へ 厳顔 (ゲンガン) [部分編集] (?~?)元は劉璋の武将。張飛に捕らえられても堂々とした態度で彼を感心させ、劉備の配下になる。 演義では黄忠と共に優れた老将であったとされ、コンビのように描かれることから「Gガン」「WGの片割れ」などの愛称がある。 因みに史実では一度だけ同じ戦闘に参加したことが有り、定軍山の戦いの時に黄忠と共に武功を挙げたという。 三國志IX 統率 77 武力 82 知力 69 政治 67 三國志11 統率 79 武力 83 知力 69 政治 67 魅力 79 弓将/戟兵A,弩兵S 関連用語: G ひぐらしのなく三国志 【三國志Ⅸ】 +序盤から登場、捕虜から登用に応じて魅音軍に参加、紙芝居常連、一軍 黄忠とともに老いてなお盛んな武将。この老将コンビの弓兵法は攻城戦の要 最近のお嬢様には〜 【三國志Ⅸ】 +劉エン軍の重鎮。滅亡後はレミリア軍に参加、老将とは思えない活躍を見せる 主君からは『我が軍が破れたとき、レミリアなるものが主君と仰ぐに足るものならば降ってくれ』と頼まれていた。 重鎮である彼が降ったことにより多くの降将がレミリア軍に参加した。 上へ 厳綱 (ゲンコウ) [部分編集] (?~192)公孫瓚の配下。公孫瓚によって冀州刺史に任じられた。192年、界橋の戦いで袁紹軍と激突するが、麴義に敗れた。厳綱は戦死したとも、生け捕りとなって斬られたともいう。 三國志IX 統率 72 武力 70 知力 42 政治 54 三國志11 統率 68 武力 71 知力 40 政治 51 魅力 52 騎兵A 三國志Ⅳで中国征服してみる 【三國志Ⅳ】 +公孫瓚軍 「イナゴ」で知れわたった動画における、公孫瓚軍の武将。 無茶でイナゴなご主君に最初から付き従う厳綱の姿は、ファンを多く生み出した。最終回には厳綱コールがあがったほど。 暗愚RHAPSODY 【三國志11】 +イナゴ軍、田偕と共に一条に仕官をする。 通称【配管工】、本人は違うと否定。 しかしマ0オの姿で土管から登場したりと配管工を認めざる得ないキャラクタ。イナゴを探すため一条の仲間になる。 上へ 厳白虎 (ゲンハクコ) [部分編集] (?~?)呉郡の群雄。王朗を倒した孫策に攻められた。弟の厳輿を使者に派遣したが斬られ、逃亡した。演義では「東呉の徳王」を自称。孫策に攻められ、王朗のもとに逃れて抗戦したが、董襲に討たれた。 本名を厳虎といい、名前や出自から山越の有力者だったとする説も。 歴戦ゲーでは弱小君主の一人であり、カマセ役の「 徳王(笑) 」として、結構人気がある。 「 ホワイトタイガー 」とか「 タイガー 」の愛称を持つ。 三國志IX 統率 66 武力 69 知力 28 政治 24 三國志11 統率 67 武力 70 知力 23 政治 21 魅力 41 親越/戟兵A 関連タグ: 【厳白虎】 ニコニコ大百科: 『厳白虎』 三國志IVで二番煎じしてみる 【三國志Ⅳ】 +厳白虎軍(プレイヤー勢力)君主。 厳白虎軍(プレイヤー勢力)君主。 「イナゴ」動画の影響を受けて併走した、SFC版純プレイ動画の一つ。 三国志5~厳白虎の野望~ 【三國志Ⅴ】 ※更新停止 +厳白虎軍(プレイヤー勢力)君主。 厳白虎軍(プレイヤー勢力)君主。 アイマス・ハルヒ・外山恒一ほかを登録した、SFC版の「純プレイ動画」。未完のまま更新停止。 軍師黄皓の憂鬱 【三國志11】 +劉禅軍(プレイヤー勢力)途中加入、ホワイトタイガー。 劉禅軍(プレイヤー勢力)途中加入。ホワイトタイガー、タイガー運輸。 旗揚げしたばかりの劉禅に圧倒的な武力で戦いを仕掛けて人々を震撼させるが、このときの脳筋指揮のおかげですっかりダメキャラが定着。紙芝居では賢弟愚兄のコメディリリーフとして動画に潤いをもたらしている。しかし、見えないところで劉禅軍を支えているのはタイガー運輸、とはうp主の言。 型月三国志Ⅸ Fakes/Parade 【三国志Ⅸ】 +七夜志貴軍(プレイヤー勢力)途中加入、厳さん、キャラブレイクあり。 七夜志貴軍(プレイヤー勢力)途中加入、厳さん。最古参の一人。 軍の旗揚げ直後、両儀式軍の会稽を南から攻める七夜軍に便乗して会稽を北から攻めるも敗退を繰り返し、七夜軍が大苦戦の末会稽を陥落させた直後にあっさり敗れる。七夜軍加入の動機が両儀式に対する一目惚れというネタキャラ。以後、両儀式、厳白虎、厳輿による「奮迅トリオ」(後に抜擢武将「厳融」も加え「奮迅カルテット」)として七夜軍野戦部隊の中核を担う。式様ネタ以外にも厳氏3名による奮迅3連鎖「厳氏ジェットストリームアタック」を敢行するなどネタが尽きない。 上へ 厳輿 (ゲンヨ) [部分編集] (?~196)厳白虎の弟。知勇に秀でていたという。孫策が呉郡を攻めると和睦の使者として派遣されるが、孫策に殺された。演義でもほぼ同じ末路をたどる。 厳「與」(「与」の旧字体)や厳「興」と間違えられるが、厳「輿」(訓読みで「こし」)である。 「軍師黄皓の憂鬱」での活躍っぷりから、他動画でも「 国宝 」と呼ばれることがある。紙芝居付きの作品では兄弟漫才が見られるが、彼が賢弟、白虎が愚兄というパターンが多い。 三國志IX 統率 65 武力 78 知力 57 政治 21 三國志11 統率 61 武力 78 知力 44 政治 20 魅力 29 親越/槍兵A,戟兵A ニコニコ大百科: 『厳輿』 軍師黄皓の憂鬱 【三國志11】 +劉禅軍(プレイヤー勢力)途中加入。紙芝居常連。厳輿は国の宝。 劉禅軍(プレイヤー勢力)途中加入。紙芝居常連。9話で紹介あり。 兄の厳白虎とともに劉禅軍に戦いを仕掛けるが、敗れて捕らえられ、5話で家臣となる。性格は温厚で努力家。序盤劉禅軍の中では抜きん出た武力の持ち主であり各地の戦役で大活躍。武力の面でより強力なメンバーが参加したあとも、厳輿ならきっと何とかしてくれると思わせてくれる。まさに「厳輿は国の宝」。「国宝」とも呼ばれる。 上へ 厳白虎は最古参でなんだかんだ言ってもがんばってる信長三国伝もおすすめです -- 那智 (2012-09-23 06 06 08) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/549.html
ソウショク 列伝 曹操の四男。母は卞氏。曹丕、曹彰の弟。曹熊の兄。建安文学を代表する詩人。臨淄侯(りんしこう)。陳王。 【演義】 曹操から才能を愛され、曹丕と後継の座を争った。楊修の助言を得て曹操が好むように振る舞うが、楊修の入れ知恵だと発覚すると曹操から疎まれ、後継の座を逸した。曹操の死後、葬儀に出席せず、曹丕に殺されそうになるが、卞氏の取りなしで「七歩の詩」を即興し、死を免れる。以後は国替えが相次ぎ、不遇だった。 【正史】 「贈白馬王彪」「野田黄雀行」「洛神賦」などの遺作がある。「洛神賦」は甄氏への想いを詠ったとも。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 18 22 81 70 80 271 40 121 順位 609 574 67 238 71 406 601 559 偏差値 32.3 36.6 60.9 56.1 60.8 47.5 33.7 39.3 成長期 普通 普通 普通 普通 普通 - - - 能力持続 短い 短い 短い 短い 短い - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 C C C C B C 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 16 13 15 14 15 13 18 13 18 12 15 12 順位 574 610 575 609 577 607 577 606 560 599 581 614 偏差値 37.1 33.9 36.9 33.6 36.5 33.7 37.5 34.0 37.6 34.2 36.6 33.4 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技 詩想 軍楽台の気力回復が二倍 マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 25 兗予 実績 中華統一 無頓着 3/5 1/5 2/3 192 206 232(41歳) 自然死 冷静 冷静 尊大 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 故事 ○ ○ ○ ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 曹植 親愛 王粲、甄氏、曹叡、曹彰、陳琳 王粲、甄氏、曹叡、曹彰、陳琳、丁儀、楊修 嫌悪 曹丕 曹丕 血縁 世代 ● ● ● ● 1 曹操 ● 曹仁 曹純 曹洪 ● 2 曹昂 曹丕 曹彰 曹植 曹熊 曹沖 曹宇 曹休 曹真 3 曹叡 曹霖 曹奐 曹爽 曹羲 曹訓 4 曹芳 曹髦 シナリオ シナリオ 年齢 身分 所在 勢力 忠誠 爵位・官職 功績値 配偶者 義兄弟 S1 184年 1月 黄巾の乱 - 未登場 陳留 - - - 0 - - S2 190年 1月 反董卓連合 - 未登場 陳留 - - - 0 - - S3 194年 6月 群雄割拠 3歳 未登場 陳留 - - - 0 - - S4 200年 1月 官渡の戦い 9歳 未登場 許昌 - - - 0 - - S5 207年 9月 三顧の礼 16歳 一般 鄴 曹操 120 - 3000 - - S6 211年 7月 劉備入蜀 20歳 一般 下邳 曹操 120 - 5000 - - S7 225年 7月 南蛮征伐 34歳 一般 下邳 曹丕 97 - 14000 - - S8 251年 1月 英雄集結 - 一般 許昌 曹操 120 - 0 - - S9 198年 1月 呂布討伐戦 7歳 未登場 許昌 - - - 0 - - S10 203年 1月 袁家の戦い 12歳 未登場 許昌 - - - 0 - - S11 217年 7月 漢中争奪戦 26歳 一般 北海 曹操 120 太楽令 14000 - - S12 187年 4月 何進包囲網 - 未登場 陳留 - - - 0 - - S13 191年 7月 序を制する者 0歳 未登場 陳留 - - - 0 - - S14 251年1月 女の戦い 一般 鄴 甄氏 255 左僕射 4000 - - 固有台詞 元服「この曹植 父上の才を継ぐ者として ご期待に沿えるよう励みます」 処断時「洛水の神女よ、 次に生まれ変わる時は 貴女の側にあらんことを……」 俗説を採用したためか、甄氏とは不倫染みた人間関係になっている当代一の天才詩人。 知力も高く、特技も当然の如く詩想なので、前線で戦わせたい。 仲の良い兄である、曹彰の副将役が一番だろう。 -- (名無しさん) 2010-10-31 15 11 40 詩人としてならともかく、君主としては曹丕の足下にも及ばなかったんだろうなW 能力はいかにもな文官で、知力ブーストが主な仕事になるだろう。 -- (名無しさん) 2011-02-12 11 00 13 ↑×2英雄乱舞での彼の勢力には甄氏がいるのでますます不倫じみてるw それはともかく知力の高さと特技から脳筋の副将向き。 -- (名無しさん) 2011-06-15 06 58 30 親愛の武将が多いが、曹彰との親愛関係以外はあまり意味がないだろう。 -- (名無しさん) 2011-11-15 22 36 52 当時の閉鎖的な文学を一新、建安文学の開祖と言っても過言では無いのに能力が低すぎる気がする。 魅力はともかく、知力は少なくとも93,4くらい有ってもおかしくないような。 今作だと豪将の知力補正くらいでしか役に立て無さそうですな。 -- (名無しさん) 2012-05-06 08 41 35 詩を読む才能と謀略は別ということだろう……というか知力93,4だと曹操以上じゃねえか -- (名無しさん) 2012-05-28 17 18 32 言うまでもなく特技は「詩想」で曹丕とは勿論嫌悪。 曹丕を除いた人間関係は非常に良好だが、彼を大将にするのはありえないので活かせる機会はまずない。 詩想の上に知力も81あるので前線へ出すには問題ない。 魅力も結構高い。 -- (名無しさん) 2012-11-16 00 22 37 英雄乱舞では君主だが、そのせいで曹彰の知力補佐に向かないのが残念。 (疾走は部隊攻撃力依存なので、曹植が部隊長では攻撃力が落ちて効果が薄れてしまう) -- (名無しさん) 2012-12-21 06 52 36 詩想持ちの君主を遊ばせておくのも勿体無いので 英雄乱舞では誰かしらと義兄弟になって親愛関係のある曹彰部隊のサポートをすることをオススメ 初期配下から選ぶなら田予か捜索で即見つかる王基 より効果的な相手を近場で探すなら濮陽勢力の夏侯惇・夏侯淵らが有力か それまでは勢力内最高知力を活かして、傾国兄嫁と組んでの計略部隊として活用しよう 俺の詩(うた)を聞けぇー!! -- (名無しさん) 2012-12-21 11 48 59 詩想は汎用的に便利な特技だし、知力81も従軍軍師としては悪くない。 が、だからといってホイホイ前線に出すのは考え物である。武力も統率もほとんど底を打っているので、強力な騎兵どころか火ですらあっさり逝けてしまう。 特に主役を張ることになる英雄乱舞では人手不足から前線に出したくなるが、相応のリスクは考慮しておこう。 本格的に前線を張りたいのなら義兄弟、あるいは武力型嫁を見つけてからの方が安全。 -- (名無しさん) 2014-07-29 10 08 33 曹彰と親愛にあるのが嬉しいが、政治知力魅力除いて全てが壊滅的。ただ、曹操の子供の中では寿命があるから、後継者も視野には入る。曹丕とは相互嫌悪なのは仕方ないが、その息子の曹叡と親愛とか理解に苦しむ。 -- (名無しさん) 2016-10-20 10 15 44 ↑なんかイロイロ言ってるけど何を言いたいのかがワカラナイ。 -- (名無しさん) 2016-10-21 00 10 31 特技は結構便利。統率が低いため主将には向かないが、副将として軍に随行させ、気力回復に役立ってもらおう。 -- (名無しさん) 2016-10-29 21 32 07 英雄乱舞やってる時、こいつより曹彰が君主ならと思い、首のすげ替えをしました。皆さんは英雄乱舞の時、どうしていますか? -- (名無しさん) 2017-01-04 20 24 13 魅力と政治高いし、そのまま使ってます。むしろ曹彰のが君主には向いてない気が・・・ -- (名無しさん) 2018-04-19 21 25 47 詩人としてのみならず、実際には父の遠征に従って14歳から従軍し、烏桓遠征や潼関の戦い、張魯征討など数多くの戦役に従軍しており、兄たちと同じく戦場で青年時代を送っている。 戦場の空気に馴染んでいたとみられる。 とのことで、もう少し統率が高くても良かったかも。 それはさておき、なかなか優秀な特技とあいまって知力が81あるので脳筋の副将にも良いかも。もちろん武力が低いので、騎兵による轢き殺されには充分気をつけよう。 -- (名無しさん) 2018-04-20 22 25 06 三国志14では、皇帝になるチャンスがある皇族のひとりになってる。 -- (名無しさん) 2020-03-24 14 18 05 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/1111.html
[部分編集] 三国志12PK 曹操で覇王袁紹 使用ゲーム 三國志12 シナリオ・担当勢力 200年5月 覇王袁紹 曹操軍 シナリオの設定 上級・寿命史実・女性参戦・登場史実討死多い・歴史イベントなし・敵勢力のみ金・兵糧・兵力収入多い 動画形態 純プレイ・字幕解説付き 登録武将 なし 史実武将の扱い 紙芝居なし 投稿時期 2013年03月1日~2013年03月8日 投稿者名 劉☆備 マイリスト 曹操で覇王袁紹 関連タグ - 関連サイト - 関連作品 併載:「博麗神社復興の戦い」シリーズ(三国志12)他にも数多くの三國志12シリーズでの動画あり 備考 - +初回外部視聴 http //www.nicovideo.jp/watch/sm20215039 概要 ゲームそのものへのスタンス 動画について コメント欄 [部分編集] 概要 三國志12PK正式版初のプレイ動画。スタンダードな曹操プレイである。 前作にも三國志12無印の動画を字幕解説プレイ通り 丁寧な解説をしながらのプレイ動画です また、前作より戦闘よりの解説が多め PKでの新要素と三國志12からあった要素を丁寧に解説しており初見の人にもわかりやすい ゲームそのものへのスタンス うp主は三國志9・11や革新をプレイしているとのことで、それらと比較しつつ、 三國志12のよい点を評価しており、その一方で希望したい点もまとめている。 煽りとは距離を置く姿勢には好感が持たれるかもしれない。 きっと、購入を検討している方の判断の参考になるだろう。 また、戦闘面に力を入れており見てて熱い展開が見れる 動画について 字幕トークからは、うp主がプレイを楽しんでいる様子は視聴者にも伝わってくる。 前作からの流れからコメントも前作ほど荒れてなく 楽し気な様子が伝わる 懇切丁寧なゲーム解説はもとより、武将解説もある。 ゲームとプレイ紹介中心の、「飾り気」のあまりない解説付きプレイ動画ではあるが 前作劉備で官渡の戦いを参考にすればPKでの新要素等がよく分かると思われる コメント欄 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/1499.html
いにしえ武将の一人。 伝説の名将だけあり、統率100・武力88に特技「闘神」・槍適性Sと、 五虎将軍すら戦闘力では上回っている。 後は、壊滅的な政治と水準程度の知力を補強すれば最早敵はないだろう。 寿命は短めだが、不自然死なのでそこまで不利な要素ではない。 -- (名無しさん) 2010-10-27 18 04 02 細かいんだが、政治の補強は不要かな。 こういう戦法命って部隊は建設してるターンがもったいない。 高知力の武将は大抵高政治なので自然と補強はできるわけだが。闘神のくせに戟Aなのがちょっとね。 統率も高いので戟Sの副将と組ませ、適性upを狙うのもいいか。 -- (名無しさん) 2010-10-27 18 18 55 ↑誤解を招いて申し訳ありません。内政をしようということではなく、 壊滅的な政治=建設力の大幅な低下に繋がるということです。 部隊を率いる際には、知力と政治が共に高い副将に不足分を補ってもらいましょう。 -- (名無しさん) 2010-10-27 20 01 23 例え戦法主体の部隊でも、兵器以外ならある程度の建設力は欲しい。 戟を育てるのは悪くないが、基本槍でいいだろう。 難敵趙雲ですら無力化出来る能力を活かさないのは惜しい。 -- (名無しさん) 2010-10-27 20 39 47 槍の他に弩と騎馬がSだが、槍のみで充分。 ただ、軍師を副将にしたいのと、贅沢だが武力95くらいの猛将も副将に入れてやると死角がなくなり最強の槍部隊に! -- (名無しさん) 2017-10-05 20 16 08 知力要員はいると思うけど、この武力でも充分だよ。指導でも副将に入れるか、武力高でも投与して上げれば、彼自身の武力も90以上にすぐなるし、槍、戟は成功すれば「必ず」クリティカルだから火力も充分。95以上ある連中は、育てたわけでなければ関羽など、統率も高い連中ばかり。 なので、彼の副将とするにはもったいない。贅沢というより飼い殺しレベル。まあ、兵力が足りなくて一部隊しか出せないとかなら話は別だけど。 -- (名無しさん) 2017-10-05 22 21 45 能力値100以上が部隊の強さに反映されない為に上位官職を与えても統率補正が無駄になってしまう事だけが弱点 -- (名無しさん) 2021-12-05 13 05 38
https://w.atwiki.jp/san_ds3/pages/256.html
未発見の在野武将を探す。 最後の行動でやっちゃうと登用できないので最初のコマンドでどうぞ。 稀に意気投合して捜索と同時に配下となる可能性あり。 ページ内検索Ctrl+F 地方 名称 読み 農業上限 商業上限 異民族 商人 備考 捜索で発見できる主な武将(確認済み) 河北 襄平 ジョウヘイ 650 510 公孫淵の本拠地 公孫度、公孫康、公孫恭、公孫淵、国淵、閻圃、蹋頓、倫直、卑衍、賈範、楊祚 北平 ホクヘイ 360 420 ○ 公孫瓚の本拠地 趙雲、麹義、呂威璜、楊祚、倫直、公孫淵 代県 ダイケン 340 450 劉備のスタート地点 田予 晋陽 シンヨウ 740 480 ○ 張燕の本拠地・黒山賊の大本営 劉豹、郝萌、蔡琰、傅幹、郝昭、郭淮、胡遵 南皮 ナンピ 600 870 袁紹の本拠地 張郃、許攸、王修、顔良、高覧、文醜、審配、沮授、郭図、陳震、尹大目 平原 ヘイゲン 900 690 黄巾の総本部 董昭、崔琰、蒋義渠、簡雍、王粲 鄴 ギョウ 690 940 ○ 銅雀台はこの都市に建つ 田疇、辛毗、呉質、甄氏、桓範、州泰 青徐 北海 ホッカイ 760 520 孔融様の聖地 太史慈、韓暹、国淵、龔景、禰衡、王基、諸葛誕 下邳 カヒ 930 630 ○ 劉備の休憩所 諸葛亮、諸葛均、呂岱、孫乾、王昶、牛金、趙累、諸葛誕、諸葛尚、孫綝、傅士仁、諸葛瑾 徐州 ジョシュウ 860 720 陶謙の本拠地 呂曠、陳羣、呂翔、糜芳 中原 濮陽 ボクヨウ 430 740 呂布の独立後の本拠地 魏続、侯成、宋憲、劉岱、臧覇、曹性、周倉、魏諷、高順、橋玄、徐晃、劉磐 陳留 チンリュウ 870 650 ○ 曹操のスタート地点 郭嘉、董衡、梁習、劉馥、夏侯惇、夏侯淵、張邈、潘璋、呉質、曹仁、楽進、曹洪、曹純、曹休、呂虔、夏侯恩、典満、毌丘倹 許昌 キョショウ 820 950 ○ 曹操の本拠地 典韋、許褚、戯志才、陳宮、于禁、司馬朗、蒋済、張節、鍾毓 譙 ショウ 390 820 曹操の出身地 典韋、朱霊、薛綜、文欽 汝南 ジョナン 910 670 劉備再起の地 徐庶、陳蘭、陳到、程秉、陳騫、呉綱 関中 洛陽 ラクヨウ 490 990 ○ 首都、シナリオ2では歴史イベントで焦土と化す 王子服、袁術、袁胤、司馬朗、胡烈、曹爽、耿紀、郝昭、高幹、司馬懿、賈逵、司馬孚、孫礼、田続 弘農 コウノウ 710 620 ○ 楊修の出身地 車胄、満寵、張燕、賈逵、王濬 長安 チョウアン 330 960 ○ 董卓が遷都した新首都 張既、許靖、華歆、毛玠、杜畿、王双、王真、李鵬、王経、師纂 安定 アンテイ 640 380 皇甫嵩の出身地 胡軫、朱霊、馬鈞、胡遵、裴秀 天水 テンスイ 550 390 ○ 孔明と姜維出会いの地 姜維、郭淮、王異、馬遵、侯選、張横、尹賞、徐質、王頎、牽弘 西涼 セイリョウ 730 470 馬騰の本拠地 馬騰、閻行、成宜、龐徳、韓遂、程銀、楊秋、張横、馬岱、徹里吉、雅丹、軻比能、越吉、梁興、成公英、迷当大王、俄何焼戈 荊北 宛 エン 770 850 袁術の本拠地 胡車児、婁圭、紀霊、雷薄、張勳、閻象 新野 シンヤ 830 570 劉備飛翔の地 范彊、張達、鄧芝、賈逵、向朗、徐庶、馬良 襄陽 ジョウヨウ 840 910 ○ 劉表の本拠地 杜畿、蒯良、諸葛亮、馬謖、劉琮、鄧艾、周旨、華覈、尹黙、王威、魏延、龐統、諸葛均、楊済、党均 上庸 ジョウヨウ 800 540 孟達の没地 申耽、牽弘、党均、孟達、趙累、向寵 江夏 コウカ 720 700 孫堅の没地 王甫、黄祖、韓嵩、蔡和、蔡中、胡奮、沈瑩、傅巽、張允、文聘、諸葛均、龐統、費禕、朱異 江陵 コウリョウ 470 840 曹仁が命がけで守った地 蔡中、蔡和、蔡瑁、霍峻、鮑三娘 荊南 武陵 ブリョウ 570 410 ○ 金旋の本拠地 鞏志、藩濬、傅士仁、蘇飛、沙摩柯 長沙 チョウサ 440 890 孫堅のスタート地点 黄忠、魏延、韓浩、韓玄、謝旌、傅嬰、魯粛、蒋幹 桂陽 ケイヨウ 680 350 趙範の本拠地 鮑隆、趙範、潘璋 零陵 レイリョウ 520 530 劉度の本拠地 刑道栄、劉度、蒋琬 江東 寿春 ジュシュン 530 880 ○ 袁術様帝位僭称の地 笮融、劉馥、吾彦、張昭、張紘 建業 ケンギョウ 610 900 ○ 孫権の本拠地。シナリオ1~3では劉ヨウの本拠 厳畯、陳横、呂岱、全禕、朱異、呂蒙、陳武、董襲、馬忠(呉)、李異、留略、唐咨 呉 ゴ 780 640 ○ 厳白虎の本拠地 陸遜、孫尚香、許貢、全琮、薛瑩、周魴、縢胤、張温、傅嬰、朱桓、顧雍、于詮、滕胤 会稽 カイケイ 510 680 王朗の本拠地 賀斉、周昕、虞翻、樊能、駱統、唐咨、陸遜、陸凱、陸績 廬江 ロコウ 370 780 孫策雄飛の地 魯粛、諸葛瑾、張紘、張昭、呂蒙、謝旌、丁奉、程秉、歩騭、徐盛、朱桓、闞沢、譚雄 廬陵 ロリョウ 590 320 山越の根拠地 予章 ヨショウ 410 800 ○ 諸葛亮の叔父・諸葛玄ゆかりの地 凌操、徐盛、蒋幹、歩騭、蒋欽、呂範、張象 鄱陽 ハヨウ 530 490 鄱陽湖は中国最大の湖 陸績 巴蜀 漢中 カンチュウ 400 760 張魯様の聖地。張魯支配時代は民忠が高い 楊松、張魯、呂義、楊任、伊籍、楊柏、譙周、呂凱、傅僉、傅彤、廖化、李典、楊昂、張衛 下弁 カベン 500 590 定軍山決戦の端緒はここの争奪戦 呉蘭、楊儀、王平、高翔、霍弋、郤正、蒋舒 梓潼 シドウ 540 440 李厳流刑の地 龐義、呂義、王累、張翼、郭攸之、董厥、楊懐、李厳、李恢、樊建、馬邈 成都 セイト 960 710 ○ 劉璋の本拠地。シナリオ1では何と空白都市 黄権、卓膺、張松、劉璝、呉班、法正、孟達、王甫、李厳、馮習、馬忠(蜀)、秦宓、閻宇、鄧芝、傅僉、陳式、黄皓、陳寿、鄧賢、費詩、董和、呉懿、張任、高沛、雷銅、秦宓、冷苞、傅彤、董允、譙周 永安 エイアン 660 750 劉備永眠の地 甘寧、呉班、蒋琬、卓膺、法正、尹黙 江州 コウシュウ 670 340 張飛と厳顔の決戦の地 法正、龐義、秦宓、雍闓、馮習、張嶷、楊儀、王累、劉巴、呂凱 建寧 ケンネイ 580 370 ○ 孟獲大王の出身地 朱褒、高定、王伉 雲南 ウンナン 620 600 孟獲大王の住処 孟獲、祝融、土安、奚泥、楊鋒、忙牙長、董荼那、阿会喃、孟優、金環三結、帯来洞主、木鹿大王、朶思大王、兀突骨 確実に捜索に成功する方法 知力100の参謀がいない場合はセーブ&ロードが必須となる。 まず未発見武将がいることがわかっている都市を所有し(南斗、北斗、華佗などの未発見で自領にいることでイベントが発生する武将や単に使用しない武将を使うのがいい)、 セーブ後、その都市で捜索に成功する武将を確認する。 その後ロードし先程捜索に成功した武将で目的の都市で捜索する。 同じ月に捜索に成功する武将は決まっているので、この方法で確実に捜索でき未発見武将の有無を確認をすることもできる。 あまりに長い間、未発見の状態で放置していると未発見のまま死んでしまうこともあるので注意。 〇〇殿は人を一面でしか判断されぬお方・・などと参謀から言われることがあるが捜索の成功率には関係していないようだ。 捜索した武将と捜索された武将の相性が近いと連れてくる可能性が高くなる。 3DS三國志 未発見(在野)簡易まとめ 基本シナリオ 3DS 黄巾の乱 未発見(在野)武将<184~189> 3DS 洛陽炎上 未発見(在野)武将<190~196> 3DS 曹操の台頭 未発見(在野)武将<196~201> 河北の嵐 未発見(在野)武将<201~208> 3DS 臥龍出淵 未発見(在野)武将<208~219> 3DS 三国鼎立 未発見(在野)武将<219~234> 3DS 星落五丈原 未発見(在野)武将<234~263> その他シナリオ 3DS 呂布討伐戦 未発見(在野)武将<198~203> 3DS 官渡の戦い 未発見(在野)武将<200~205> 3DS 劉備入蜀 未発見(在野)武将<213~218> 3DS 五路侵攻戦 未発見(在野)武将<223~228> IFシナリオ 3DS 覇王袁紹 未発見(在野)武将<200~205> 3DS 英雄集結 未発見(在野)武将<初期配置のみ> 3DS 信長転生 未発見(在野)武将<初期配置のみ> 3DS 戦国七雄 未発見(在野)武将<初期配置のみ> 3DS 自動仕官武将まとめ シナリオごとに簡単にまとめてみました。自動仕官武将のまとめと合わせて武将カード集めに使ってください。 編集要望シナリオごとの武将の登場都市 三国志DS3未発見(在野)まとめ 今まで調べてきたものをまとめてみましたが新武将に関しては不十分な内容になっています。 間違っているところがあったり、どのシナリオで誰が登場したか気づいたことがありましたら編集するかコメントを残していただけると助かります。 三国志Ⅴ未発見(在野)武将まとめ 一部の武将を除いて武将の年齢と登場年がほとんど変更されていますが、武将の登場都市に関してはそれなりに信頼できます。 未発見と在野の状態が入れ替わっていたり、20年以上登場年が変更されている武将もいますので注意してください。 解析して得たデータ 「放浪の賢聖」のシナリオのデータを解析して 得た所在地データです ※あくまで内部データですので実際のプレイに反映されるとは限りません。特に諸葛亮など一部武将はシナリオごとに登場場所が変わります(下邳だったり襄陽だったり)。 ※親がいる武将は親の仕えている君主の居る所に変更されるらしいです。 ※華佗・左慈・紫虚上人・南華老仙は特殊な武将でどこにいるのかシナリオごとに違うらしいです。 現在571/571 地方 名称 読み 武将 河北 襄平 ジョウヘイ 倫直、卑衍、蹋頓、国淵、公孫度、公孫康、公孫康、公孫恭、公孫淵、閻圃 北平 ホクヘイ 北斗、呂威璜、楊祚、趙統、趙雲、公孫範、公孫続、公孫瓚、公孫越、厳綱、麹義、関靖、賈範 代県 ダイケン 盧植、劉理、劉封、劉備、劉禅、劉諶、劉璋、劉循、劉焉、劉永、田予、張宝、張飛、張昭、鄒靖、関平、関索、関興、関羽、関彜 晋陽 シンヨウ 呂玲綺、呂布、劉豹、傅幹、胡遵、郝萌、衛瓘 南皮 ナンピ 逢紀、文醜、鄧茂、田豊、程遠志、陳震、張郃、沮授、沮鵠、審配、高覧、許攸、顔良、郭図、王修、尹大目 平原 ヘイゲン 管輅、廖化、裴元紹、杜遠、董昭、張梁、張宝、張角、蒋義渠、崔琰、簡雍、王粲 鄴 ギョウ 潘鳳、田続、田続、程武、程昱、辛評、辛毘、甄氏、州泰、韓馥 青徐 北海 ホッカイ 武安国、禰衡、趙広、太史慈、太史享、孔融、龔景、韓暹 下邳 カヒ 魯粛、呂岱、羊祜、糜氏、程普、趙累、張承、孫朗、孫亮、孫翊、孫瑜、孫登、孫綝、孫静、孫韶、孫峻、孫秀、孫策、孫晧、孫権、孫匡、孫休、孫冀、孫桓、孫和、孫異、孫乾、祖茂、諸葛亮、諸葛誕、諸葛瞻、諸葛靚、諸葛尚、諸葛瑾、諸葛均、諸葛喬、諸葛恪、朱治、朱然、周瑜、黄蓋、牛金、韓当 徐州 ジョシュウ 呂翔、呂曠、糜芳、糜竺、陶謙、陳登、陳珪、陳羣、孫礼、曹豹、毌丘倹、王朗 中原 濮陽 ボクヨウ 劉曄、劉磐、劉岱、波才、陳矯、臧覇、曹性、宋憲、徐晃、胡班、侯成、高順、橋瑁、橋玄、魏諷、魏続 陳留 チンリュウ 呂虔、梁習、劉馥、劉表、李典、鮑信、董衡、典満、張邈、曹沖、曹仁、曹彰、曹純、曹洪、曹休、周倉、呉質、高昇、厳政、賈充、夏侯楙、夏侯覇、夏侯徳、夏侯尚、夏侯玄、夏侯恵、夏侯和、夏侯恩、夏侯威、楽綝、楽進、郭嘉、郭奕、王戎、王渾 許昌 キョショウ 卞喜、典韋、陳宮、張節、張闓、蒋済、鍾毓、荀攸、荀諶、荀彧、司馬朗、司馬攸、司馬望、司馬孚、司馬昭、司馬師、司馬炎、司馬懿、許褚、許儀、戯志才、桓範、夏侯惇、何儀、王濬、于禁 譙 ショウ 劉巴、曹操、孔伷、夏侯淵 汝南 ジョナン 許劭、劉辟、楊済、馬邈、陳蘭、陳到、張布、張悌、徐庶、呉綱、郤正、龔都、管亥 関中 洛陽 ラクヨウ 黄承彦、劉琮、劉琦、卞氏、馬遵、杜預、貂蝉、張春華、曹熊、曹髦、曹芳、曹丕、曹爽、曹真、曹植、曹昂、曹訓、曹義、曹奐、曹叡、曹宇、蒋舒、師纂、蔡邕、蔡琰、胡烈、耿紀、高幹、何進、郝昭、蒯越、王子服、王允、袁譚、袁紹、袁尚、袁術、袁胤、袁熙 弘農 コウノウ 李粛、楊彪、楊修、満寵、陶濬、陳琳、張燕、車胄 長安 チョウアン 李鵬、毛玠、杜畿、鄧忠、董承、鄧艾、張既、鍾繇、鍾会、淳于瓊、朱儁、金緯、許靖、華歆、王昶、王双、王真、王経 安定 アンテイ 馬鈞、裴秀、朱霊、胡軫、閻行 天水 テンスイ 張遼、徐質、皇甫嵩、侯選、姜維、牛輔、郭淮、賈詡、王頎、王異、尹賞 西涼 セイリョウ 梁興、李儒、李傕、楊秋、迷当大王、龐徳、樊稠、馬騰、馬鉄、馬超、馬岱、馬休、馬玩、馬雲騄、董旻、董卓、徹里吉、張繡、張済、張横、成公英、成宜、鄒氏、徐栄、韓遂、華雄、軻比能、雅丹、郭汜、俄何焼戈、越吉 荊北 宛 エン 婁圭、雷薄、張曼成、趙弘、張勳、孫仲、胡車児、紀霊、韓忠、袁燿、閻象 新野 シンヤ 万彧、張達、張虎、向朗、向寵、賈逵、王基 襄陽 ジョウヨウ 司馬徽、龐統、馬良、馬謖、丁原、周旨、黄月英、魏延、霍弋、霍峻、華覈、蒯越、王威、尹黙 上庸 ジョウヨウ 孟達、文欽、文鴦、党均、申耽、牽弘 江夏 コウカ 文聘、傅巽、張允、沈瑩、胡奮、黄祖、韓嵩、王甫、于詮 江陵 コウリョウ 鮑三娘、張象、蔡瑁、蔡中、蔡和 荊南 武陵 ブリョウ 傅士仁、藩濬、蘇飛、沙摩柯、金旋、鞏志 長沙 チョウサ 孫歆、蒋幹、謝旌、呉景、黄忠、闞沢、韓浩、韓玄、桓階 桂陽 ケイヨウ 鮑隆、潘璋、趙範 零陵 レイリョウ 留略、劉度、劉賢、刑道栄 江東 寿春 ジュシュン 劉繇、張紹、張紘、張休、張英、笮融、胡質、吾彦 建業 ケンギョウ 呂蒙、万彧、董襲、陳武、陳横、全端、全琮、全懌、全禕、朱異、顧雍、厳畯 呉 ゴ 于吉、濮陽興、傅嬰、縢胤、張温、孫尚香、孫堅、薛綜、薛瑩、周魴、厳輿、厳白虎、許貢 会稽 カイケイ 陸遜、陸績、陸抗、陸凱、駱統、樊能、唐咨、張華、周昕、虞翻、賀斉 廬江 ロコウ 李異、歩騭、馬忠 (孫呉) 、程秉、大喬、徐盛、小喬、朱桓、周泰 廬陵 ロリョウ 予章 ヨショウ 呂範、凌統、凌操、丁奉、譚雄、蒋欽 鄱陽 ハヨウ 巴蜀 漢中 カンチュウ 呂義、呂凱、楊柏、楊任、楊松、楊昂、傅彤、傅僉、張嶷、譙周、伊籍 下弁 カベン 馮習、樊建、馬忠 (蜀漢)、董允、蒋琬、呉蘭 梓潼 シドウ 李豊、李厳、李恢、楊懐、龐義、鄧芝、董厥、張翼、岑昏、高沛 成都 セイト 冷苞、劉璝、雷銅、費詩、鄧賢、董和、陳式、陳寿、張任、張松、卓膺、秦宓、黄皓、黄権、呉懿、閻宇 永安 エイアン 法正、甘寧、郭攸之 江州 コウシュウ 楊儀、雍闓、費禕、高翔、厳顔、王累、王平 建寧 ケンネイ 朱褒、高定、王伉 雲南 ウンナン 南斗、楊鋒、孟優、孟獲、木鹿大王、忙牙長、董荼那、土安、朶思大王、帯来洞主、祝融、兀突骨、奚泥、金環三結、花鬘、阿会喃
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2316.html
魅力以外全て中途半端。親愛武将もいることはいるが、相手が黄皓では…。 政治+5低×2回+官職で一応内政官としても使える。 ただし義理低め野望高めなので注意。 -- (名無しさん) 2011-05-18 13 48 21 武力低の2回使えばとりあえず70は行くけど、野望が高い分出陣させ たくない武将。 -- (名無しさん) 2011-07-24 02 44 44 演技ではゴマスリ役人。正史では実績豊かなベテラン。 運搬辺りを取らせて後方で控えさせておくのが使い道かな -- (関羽大好き) 2011-07-24 08 13 09 馬忠におよばないとはいえもう少し評価しても・・・・・・ -- (名無しさん) 2011-08-10 02 14 29 正史において馬忠に及ばないとされているが、そもそも馬忠の実績を考えると及ばなくても仕方はない。 長年に渡り功績を挙げ、仕事熱心であったとされる割に若干不遇な評価を受けている。 正史でも演義でも黄皓と結託して姜維と立場を入れ替わろうとしているが、 正史に関しては諸葛瞻と董厥も入れ替えるよう劉禅に上奏しているのでもう少し考慮してほしかったり。 -- (名無しさん) 2013-01-11 08 35 55 ↑チラ裏でやれ -- (名無しさん) 2013-01-13 00 35 11 「正史において」「正史でも」っていうけど、これ三国志演義のゲームだから。 さておき閻宇(と趙雲の息子など)は後期によく居る器用貧乏の代表。 港に駐留させるには惜しく、後方太守にするにしても野望が高いので安心して任せられない。 幸いにも寿命が長いので、諸葛亮の下で「築城」を持たせて前線でこき使うのが良い。 築城は早期に習得できる上、政治50台でも目に見えて効果を発揮する。 馬忠の特技を前線向けに書き換えられる頃には褒美用の金銭も余って前線も充実しているだろうから、史実通り後任として派遣するのが良いだろう -- (名無しさん) 2013-02-20 08 31 57 演義では酷い役回りをしていたが魅力と義理以外は意外に悲惨な能力にされていないので馬忠には及ばないが使える。余った育成を少し使えばどれも微妙だが何でも少しはできる人になる -- (名無し) 2013-02-24 07 57 22 ↑2 演義ベースなだけで全部が全部演義なわけじゃないけどね -- (名無しさん) 2013-02-24 13 28 18 とりあえずこの能力では姜維の代役はどう考えても無謀。↑3の様に築城要員として使うのもいいが、蜀系からずれた相性と低義理にちょっと注意がいる。 長期に渡る建設の旅は結構時間がかかったりするので、超級などでは季節またぎなどを挟むとあっさり90台になって引き抜かれたりする。それを気にしながらの建設もなかなかめんどいものである。 知力・政治は数合わせぐらいにはなるので、不安なら内政要員として飼い殺しても良い。寿命も長めなので、政治低があまっているようなら上げてもいいだろう。 英雄集結系ではババ抜きのババとしての活躍?が望める。 -- (名無しさん) 2015-01-27 18 04 09 >これ三国志演義のゲームだから 演義ベースだと馬忠はあんな能力値にならないよねw -- (名無しさん) 2017-07-05 22 25 09 まぁ何だかんだで妥当な数値ではなかろうか -- (名無しさん) 2018-09-15 16 27 06
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/579.html
ソンサク 列伝 孫堅の長男。孫権の兄。妻は大喬。呉の長沙桓王。 【演義】 父と共に劉表軍と戦い、父が死ぬと袁術に玉璽を譲り兵を得る。江東に侵出して劉繇、厳白虎、王朗らを討ち、「江東の小覇王(覇王とは項羽のこと)」と呼ばれた。後に袁術から独立し、曹操に匹敵する勢力を築く。しかし、曹操と内通したため討った許貢の食客に襲われ負傷。後事を弟の孫権、義兄弟の周瑜に託して死んだ。 【正史】 袁術の庇護下で、「呉の四姓」陸康を討ち、江東の名士層と対立。孫権と陸遜(陸康の同族)の和解で決着するが、以後も呉では皇帝と臣下の対立が頻発する。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 92 92 69 70 92 415 184 253 順位 9 14 260 238 10 11 6 13 偏差値 65.6 64.9 55.0 56.1 67.2 69.3 66.0 67.2 成長期 早熟 早熟 早熟 早熟 早熟 - - - 能力持続 長い 長い 長い 長い 長い - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 S A B S A S 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 97 97 83 95 70 74 106 92 83 70 92 87 順位 5 7 24 22 25 42 8 3 6 14 2 4 偏差値 71.8 72.6 67.7 68.1 64.9 64.3 71.4 73.0 70.7 69.6 75.4 75.7 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技 勇将 自分より武力の低い敵部隊への全戦法成功時クリティカル マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 125 揚州 能力 中華統一 無頓着 4/5 4/5 2/3 175 189 200(26歳) 不自然死 猪突 猪突 豪放 顔グラの変更は26歳。 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 故事 ○ ○ ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 孫策 親愛 周瑜、孫尚香、大喬、太史慈 項籍、周瑜、孫皎、孫尚香、孫翊、大喬、太史慈、張紘、張昭 嫌悪 劉勳 陳矯、于吉 血縁 世代 ● ● 1 孫堅 孫静 孫羌 2 孫策 ①孫権 孫翊 孫匡 孫朗 孫尚香 孫暠 孫瑜 孫皎 孫賁 3 孫氏 孫魯班 孫登 孫和 ③孫休 ②孫亮 孫泰 孫綽 孫恭 孫鄰 4 ④孫皓 孫秀 孫綝 孫峻 孫震 孫歆 イベント イベント名 内容 孫策出陣 opイベント 小覇王孫策 周泰、蒋欽、陳武、董襲、凌操仕官 二張推挙 張昭、張紘仕官。プレイヤー君主が孫策の場合は舌戦が起こらない 二喬婚礼 孫策と大喬、周瑜と小喬がそれぞれ夫婦になる 孫策の死 舌戦が発動。勝つと孫策の寿命が延びるが、負けると死ぬ シナリオ シナリオ 年齢 身分 所在 勢力 忠誠 爵位・官職 功績値 配偶者 義兄弟 S1 184年 1月 黄巾の乱 10歳 未登場 呉 - - - 0 - - S2 190年 1月 反董卓連合 16歳 一般 長沙 孫堅 120 奮威校尉 2000 - 周瑜 S3 194年 6月 群雄割拠 20歳 君主 廬江 孫策 - - 10000 - 周瑜 S4 200年 1月 官渡の戦い 26歳 君主 建業 孫策 - - 20000 大喬 周瑜 S5 207年 9月 三顧の礼 - 死亡 - - - - - - - S6 211年 7月 劉備入蜀 - 死亡 - - - - - - - S7 225年 7月 南蛮征伐 - 死亡 - - - - - - - S8 251年 1月 英雄集結 - 一般 柴桑 孫堅 120 奮威校尉 2000 大喬 周瑜 S9 198年 1月 呂布討伐戦 24歳 君主 建業 孫策 - - 16000 - 周瑜 S10 203年 1月 袁家の戦い - 死亡 - - - - - 大喬 周瑜 S11 217年 7月 漢中争奪戦 - 死亡 - - - - - - - S12 187年 4月 何進包囲網 13歳 未登場 呉 - - - 0 - - S13 191年 7月 序を制する者 17歳 一般 洛陽 袁術 98 奮威校尉 4000 - 周瑜 S14 251年1月 女の戦い 一般 廬江 大喬 120 奮威校尉 4000 大喬 周瑜 固有セリフ 元服「我が活躍をもって 孫呉の武威を天下に轟かせて ご覧に入れる!」 クリティカル「小覇王、ここにあり!」 「これが虎の子の力だ!」 「孫呉の武威は【一人称】が受け継ぐ!」 一騎討ち承諾(相手が孫尚香)「孫尚香と一騎討ちをする羽目になるとは・・・・・・」 一騎打ち承諾(相手が周瑜)「当たり前だ!いくぜ、公瑾!!」 一騎討ち申し込み(対周瑜)「公瑾勝負だ!手加減したら許さんぞ!!」 一騎討ち開始(仕掛け)「かかってこいっ! どっちが上か教えてやる!」 「細かいことは抜きだ! 男は実力で語るのみ!!」 一騎討ちに勝利(対周瑜)「強いな公瑾!俺が闘ってきた中ではお前が一番強かったぞ」 捕虜登用失敗時「【一人称】を誰だと思っている? そう簡単に覇道は捨てられんな」 捕虜拘留時「ふん 小覇王ともあろう者が 情けない!」 後継者になった時「後継者はこの孫策だ! まだ見ぬ宿敵、まだ見ぬ戦友よ 【一人称】を楽しませてくれよ!」 孫堅の後継者になった時「父上 孫呉の兵法は【一人称】が引き継ぐ 我が覇道、天からご覧あれ!」 周瑜の後継者になった時「公瑾、お前の果たせなかった夢は【一人称】が引き継ごう……親友として!」 処断時「これでは覇王を超えられんな 俺はもう少しやれると 思ってたんだがな……」 IEだとずれるので血縁をテーブルにしてみました -- (名無しさん) 2010-01-27 13 50 29 バランスは良いが、知力に若干不安が残る。最前線で戦う事になるので、知力の高い武将を部隊に入れて補おう。 兵科を問わない勇将はかなり強力。武力で判定されるので、強化してゆきたい。 兵科は勇将を一番活かせるであろう槍がお勧め。呉軍は騎馬適正の高い武将が少ないので、騎馬を率いても良いだろう。 -- (名無しさん) 2010-02-09 23 18 17 大僑とセットで出陣させたい。小覇王になると全能力+2。アイテムイベントでも+1.普通にやってたら後半には統率・武力共に100近くになる最強武将。シュウユとの気力回復プチイベントは感動。 -- (シン様) 2010-02-10 10 24 58 アイテムフル装備している時があるので、一騎討ちの際には気をつけたい。 -- (名無しさん) 2010-03-25 19 34 31 英雄乱舞だと涼州+長安+漢中の一大戦力をいつの間にか築いている。 -- (名無しさん) 2010-08-24 18 20 43 個人的に、武将編集で覇王つけてる。 なんでって?だって小覇王じゃん。 まあ、勇将も変えるのはしのびないか。 とにかく最強。上の方に、 く普通にやってたら後半には統率・武力共に100近くになる最強武将。 と書いてる。たしかにそう。 ちょっと知力をあげるか、周渝と組ませると、鬼。 -- (名無しさん) 2011-02-06 20 51 48 周提督&奥さんと組ませると水上では 適性S、統率97、武力92、知力96、火矢の火ダメージ火神で無効、 火矢は勇将効果でもれなく着火&火のダメージ2倍、毎ターン気力回復で延々戦える、 君主だと10000超える兵士率いてくる等、孔明先生でもいないと太刀打ちできない悪魔の部隊と化す。 また、陸上だと適性SASSA。もれなくクリティカル。こちらも鬼 -- (名無しさん) 2011-03-11 13 27 39 一騎打ちの固有台詞だと思います(対周瑜) 孫策「公瑾勝負だ!手加減したら許さんぞ!!」 周瑜「無論だ、我らの闘いに一点の曇りもあるものか!」 ・一騎打ちに勝利(対周瑜) 「強いな公瑾!俺が闘ってきた中ではお前が一番強かったぞ」 -- (名無しさん) 2011-03-27 22 34 16 どうせ早く死ぬし育成はしなくていいや。君主らしく後ろでドカッと座ってもらおう・・・と考えていた時期がありました 于吉が思ったよりも弱くて簡単に倒してしまったため寿命が伸び、すごく勿体無いことになった -- (名無しさん) 2011-04-30 12 24 55 ↑ただイベント発生時出撃などしてると起こらないので要注意!(ps2pk) -- (名無しさん) 2011-04-30 13 05 58 俺も于吉とのイベントがいつまでたっても起きなかった(PS2PK寿命史実イベント有り) 月初めとかは、未行動にするように気を付けてたはずだったんだが・・・ でも孫策が死なないまま210年に中華統一。平均何年に死ぬかは分からないけど とりあえずS2開始ならガッツリ育成して問題無さそう -- (名無しさん) 2011-04-30 13 41 47 気になったので官渡の戦いでシナリオを始め、編集で没年を189年(登場年)にしたみた。 試行は十回程度なので確実ではないが205~206年の間に十回とも于吉イベントが発生 つまり没年から+15~16年生きるみたいですね。 元の没年(200年)の設定だと216~217年まで恐らく生存可能な場合もあると思われます -- (名無しさん) 2011-10-07 17 33 49 ↑を受けて俺も試してみた(PS2PK)216年11月にイベント発生、乱数次第で多少の揺らぎはある模様。 舌戦に勝つと寿命が20年延び、マスクデータの没年が220年になる。そして実際には237年まで生存していた。 これまたバラツキがありそうだが、実際の没年よりも更に20年前後延びると考えて良さそう。 舌戦に関して、于吉は知力60台のうえ話術を一つも持っていないので、怒りゲージにさえ注意していればまず負けない。 それにS4でさえ没年までの猶予が15年以上あるので、イベント自体見かける機会が少ないかもしれない。 結論としては、孫策君主でプレイする場合、どのシナリオでも寿命のことを気にする必要はそれほど無いと思われる。 一応216年頃になったら、兄弟の行動の有無を確認しておこう。孫策の体調が軽傷になると、近いうちに発生するはず。 ちなみに舌戦敗北時、配下に周瑜と張昭のどちらか又は両方がいると、仲謀に後事を託す際の台詞が少し変化する。 -- (↑×2) 2011-10-08 07 35 44 ある程度結果がまとまったらイベントの項にでも加筆してくれると嬉しい -- (名無しさん) 2011-10-08 23 44 17 彼の勢力に自武将が捕まると、処断されてしまう事が多いらしい。 -- (名無しさん) 2012-07-10 22 58 09 ↑はっきりとした情報ですか? 「らしい」という表現をしているので曖昧な情報ではなく、検証などをお願いしますm(__)m -- (名無しさん) 2012-07-11 00 53 10 孫尚香との一騎打ちの台詞は血族との汎用台詞では? -- (名無しさん) 2012-10-25 23 07 50 于吉イベ発生後に編集で基本設定見ると、寿命179歳、没年353年と仙人並の寿命に・・・ (というか気持ち悪いw) もしかして俺だけ起こってるバグ? -- (六武衆) 2013-08-24 04 00 25 ↑パッチを当てたかい?俺はそれで直ったよ。 -- (名無しさん) 2013-12-27 18 56 44 史実のフラグブレイカーに定評のあるお方。 自然死の周瑜や魯粛が先に逝くこともままある。 史実の域を脱し真の覇王となる夢は比較的容易。 史実のような名士層との対立も全く感じさせない優遇ぶりなので、是非叶えてあげよう。 -- (名無しさん) 2015-01-19 02 06 40 ↑下らんことコメントするなや、カス -- (名無しさん) 2015-01-19 07 26 12 仮に于吉イベが起こらない状況 or 于吉に負けるにしても、大体215年までは生きると見て良い。 S4でも15年程度は生きるので、孫呉の勢いの凄まじいこのシナリオなら存命中に統一も夢ではない。 215年頃になると能力の劣化が始まるが、その頃なら微々たるモノで、それを差し引いても、孫呉の中で最強の武闘派である事に揺らぎは無い。 問題があるとすれば、呂蒙がアホの子のままであるという位だろうか。 -- (名無しさん) 2015-02-27 11 06 26 寿命舌戦は基本的には勝てるイベントだが、リセット無しプレイで不安が残る・・・というような人は「書物を持たせない」ようにしておくとよい。 無視はともかく、詭弁があったところで効果はあまりない。むしろ話題札が減って弱くなるぐらいなので、書物は部下にあらかじめばらまいておこう。 元から知力もかなり高めなので、防計ラインの80ぐらいまで育成するというのもあり。そうなるともう負けの目はほばない。 -- (名無しさん) 2015-06-03 22 24 22 孫呉で唯一単独で大局を変えてくれるくらいの優遇っぷりだな。イベント含めたら関羽にもひけをとらない。 12でも呉で最高統率になってるし。ま周瑜陸遜が下げられただけなんだけど -- (名無しさん) 2015-06-22 19 51 27 知力はまぁまぁとしても、政治高くないか?もう少しノウキンなイメージなんだが。 -- (名無しさん) 2015-11-25 19 40 53 寿命が短いように思えるが不自然死な上、イベントに勝てば更に寿命が延びるため、死亡年が開始年のS4から始めても完走まで生き残ってくれることも。 イベントで万が一にも負けないよう、ある程度知力を育成し、本を持たせてあげよう。 -- (名無しさん) 2016-10-29 22 36 22 言うまでもないが、槍強し。 乱突無双に抵抗がなければだけど。 -- (名無しさん) 2017-06-20 00 15 56 海でも陸でも、縦横無尽に活躍できる。君主というより、前線で戦う猛将としての使い方が主流になるか。 -- (名無しさん) 2017-12-22 21 49 29 脳筋 -- (名無しさん) 2021-09-25 19 34 06 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2762.html
久々に見てみたけど、クビライの魅力と列伝が悪意に塗れてないか? 履歴見直したら2013年に改変されたようだけど。 今の決まり事だと魅力の変更は無理だとしても、せめて列伝だけでも以前のに差し戻せないかな? -- (名無しさん) 2016-03-19 19 59 33 列伝だけ戻したら余計魅力9が謎にならないか? 「こういう歴史観に基づけばこういう能力になりますよ」というのが列伝の併記じゃないかね 極端なこと言えば外国の人が日本の登録武将の能力見ても、すぐに納得できるケースは少ないだろう -- (名無しさん) 2016-03-19 21 15 54 流石にここまでひどいのは大半の人は参考にしないでしょ -- (名無しさん) 2016-03-20 10 45 08 そりゃ人によるでしょ その人物をどう見るかなんて千差万別だし 例えば日本の天下人の徳川家康だって 「文武両道の天才で耐えに耐えて実力者となり幕府を開いて天下泰平を築いた名君」だという人もいれば 「秀吉が築いた豊臣政権を最後に簒奪して得をした不忠だらけの卑怯な暴君」という人もいる。 魅力が低い有能な人物は「みんなの新武将」で何もクビライだけに限ったことではないし そこは登録する人が好きにすればいいさ -- (名無しさん) 2016-03-20 10 58 20 列伝の差し戻しを最初に提案した者ですが、 列伝の中身に間違いが多いのが気になるんですよね。 クビライは大理遠征や南宋戦争では虐殺を禁じているし、 列伝にある金の滅亡や、中東・欧州への侵攻はクビライの前の時代の出来事だし。 モンゴル軍の残虐行為を全部クビライに押っ被せているようにしか見えなくて…。 -- (名無しさん) 2016-03-20 13 29 20 http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/126.html 「列伝は250字を越えないようにしてください」との文言があったので 勝手ながら一部添削、修正を加えました。元の文にあった列伝は 補足としてそのまま残しておきました -- (名無しさん) 2016-03-20 14 18 28 能力値は原則的に一人一つまでとされているのに、補足という形とはいえ複数の列伝を載せてよいのかな? 能力値の追加が禁止された経緯を考えると、かなりルール違反に近い行為のように思える。 250字以内に添削された方だけを残して、250字以上の方は消した方がよくないかな? -- (名無しさん) 2016-03-21 00 17 33 能力値と列伝の併記はまず置かれた状況が全く違う。 能力値に関しては存在そのものが編集合戦の温床となっており どのページでも大なり小なり問題を内包していたのに対し 列伝に関しては編集合戦の火種になったことは現状ほとんどなく ゲームシステムとの兼ね合いでルールが定められたにすぎない 無論列伝ルールがある以上250字以内にするのが望ましいのであるが、 補足ないし列伝の記述ボリュームに関して否定的な意見はほとんど寄せられていない。 これは適正、特技、親愛嫌悪候補が複数あってもさほど問題になっていない現状とよく似ている。 まず大前提として、基本的に削除というのは最後の手段。 編集合戦などが発生して収拾つかなくなった場合などに使うのが望ましい。 削除された側が不満を持つ可能性も当然大いにあるわけで、それが編集合戦を呼び込んでは本末転倒 能力値の追加禁止は、先に一部の心ない編集者達が悪用したのが原因であり、列伝と同様の状況とはいえないだろう -- (名無しさん) 2016-03-21 00 58 52 列伝に関しては編集合戦の火種になったことは現状ほとんどなく 削除された側が不満を持つ可能性も当然大いにあるわけで、それが編集合戦を呼び込んでは本末転倒 これまで編集合戦の火種にならなかったのなら、添削前の列伝を削除しても問題ない。 これから編集合戦の火種になる可能性があるのなら、能力値と同じく列伝も一つに限定した方がよい。 ……とは考えられない? まず大前提として、基本的に削除というのは最後の手段。 「添削」という言葉には「削除する」という意味も含まれているのだから、 列伝の添削に関しては添削前の文章は残さないのが基本では? もともと添削前の250字以上の列伝はゲームでは使えないわけだし、 ゲームに使えない列伝(書いた本人でさえ間違いなく使用していない列伝)をゲームのwikiに載せておいて、 ゲームで使えるように修正されたら怒り出すような人たちに、そこまで配慮する必要があるかな? -- (名無しさん) 2016-03-21 22 55 34 ↑の追記 自分が心配しているのは、前に「現編集前」という項目が作られた時のように、 「何らかの形で編集前のデータを残し、以前の編集者を尊重する姿勢を見せさえすれば、自由に編集してもよい」 と考える人が出るのではないか、ということなんだよね。心配しすぎだとは自分でも思うけど。 -- (名無しさん) 2016-03-21 23 23 37 確かに、実際に火種になるなら、列伝に関しても「1つだけ」とする必要はあるかもしれない でも実際に編集合戦の火種になっていない以上はできる限り編集者の意向を尊重すべきだと思う なんでもかんでも削除、1つに拘ると、自治を目的と欺いて都合よく改竄する連中が出てくるかもしれない。 あと、能力値の問題に関しては、問題を起こした編集者達は基本的に他の編集者を尊重していない。 そちらの言う能力値追加禁止のルールの原因になった編集者たちは 何度も自分の都合よく能力を改竄して、ルールの隙を突く形で無理やり自分の考えた能力値を記述し それに異論や反論のある人間を一切無視していた。もともと能力を2つ以上併記するのは 光武帝、朱元璋、秀吉などのように「ゲームシステムで反映できない本人の変化を、2つ能力を作ることで強引に反映させた」 ものがほとんどであり、それを無視して改竄追加をする問題行動になったからこそのルール追加であって。 「列伝を1つにする」というのは、個人的には編集合戦や問題起こってから議論するくらいでいいと思う。 あくまで皆で決めたルールが第一だからね。それ以上のことをやるのもどうかと -- (名無しさん) 2016-03-22 00 17 30 クビライの能力や列伝の悪意が凄まじいな 「巨大な放牧地」を目指したなんて デタラメもいいところ -- (名無しさん) 2016-04-08 02 41 50 補足はあくまで補足だからね ローカルルール改訂前に変更されてるから仕方ない -- (名無しさん) 2016-04-08 05 22 44 それにしたって酷すぎると思う wiki読んだだけでも、嘘だってわかるようなことを 堂々と書く事が信じられない 統治をみたら、放牧地にされたところなんで 一体どれだけあるのやら -- (名無しさん) 2016-04-08 13 35 04 あくまでデータサンプルだからね ぶっちゃけここ三国志のページなんで「嘘」でも大したことはない。 なぜなら呂布と劉備・関羽・張飛が一騎打ちしたのも史実に基づけば「嘘」 張飛の息子の張苞が活躍したのも「嘘」だし関索の活躍も「嘘」だからね -- (名無しさん) 2016-04-09 05 43 48 そういう講談のお話と、悪意のある中傷とを 一緒くたにはできないでしょ 三国志の人形劇でリョモウが関羽をおびき出す為に 住人を虐殺した設定になってたけど それを列伝として記したら確実に訂正入るでしょ -- (名無しさん) 2016-04-10 01 10 52 個々人の調整でいいと思うのですが -- (名無しさん) 2016-04-10 22 21 45 クビライの一件から、新武将の各ページの編集履歴調べたら、 2013年12月2日~5日あたりにかけて行われている更新に問題がありそう。 元々250字以内でまとまってた列伝に対して、残虐性を強調したり卑猥な表現を大幅に加筆してあるのを散見。 例を上げると、五胡十六国の石虎、唐の武照(武則天)や安禄山、五代十国の朱全忠とか。 中国史における負の側面を否定するわけではないけど、 悪意をもって不必要なまでに貶めている記述はさすがにどうかと思う。 -- (名無しさん) 2016-04-10 22 54 21 ↑ 例に上がった人物読んだけど、どれも酷かった しかも馬鹿の1つ覚えで、能力の魅力1桁 特技は強奪に設定してるみたい まず間違いなく同一人物の編集でしょうね -- (名無しさん) 2016-04-11 01 50 34 2016-04-10 01 10 52 氏 でも、現実問題として訂正は今まで入ってないよね しかも上のコメントで検証してくれた人によれば変更時期は2013年の12月の話だという つまり約2年そのままになっていたことになる これが「みんな了承していた」か「みんな放置していた」かどうかは ともかくとして、少なくとも訂正されなかったことは確か。 もしその1人の編集者の編集内容を是としないのであれば 大元のページでまずはルール改訂の要請をするのが先だと思う ただし、能力値については既に変更不可というルールが決まってるので 改訂要請はもっぱら列伝だけになると思うけど http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/126.html -- (名無しさん) 2016-04-11 15 17 46 人気武将ならもっと早く指摘が入ってたと思うよ 今まで入ってなかったから、是とするというのは ナンセンスだね 劉備の列伝で、人肉料理を出されて感激するような 酷薄な人物だった。なんて書かれて 魅力1桁、特技強奪とかに変更されてたら 間違いなく早々に問題になってる いま挙げられてる人物の列伝は、特に武照なんか これより酷い -- (名無しさん) 2016-04-11 16 40 03 それは武将によるのではないか? 確かに劉備ならば、そのような反対意見が出るかもしれない。 でも董卓であれば?呂布であれば? 「董卓や呂布は武将としての力量に優れていたが、残虐性は酷く~~」と 列伝にあったとして、果たして反対意見が出たであろうか? 少なくとも石虎と武照に関しては史実ないし講談での逸話で残虐性のあるエピソードは確かにある それを是とするか非とするかは当人次第ではなかろうか? 正規の方法を問わず列伝を改変するのは果たして良いことであろうか? 編集合戦の引き金にしかならないような気もするが -- (名無しさん) 2016-04-11 21 58 18 ↑5を見て他にも調べてみたら、隋の煬帝の列伝も書き換えられていたみたいだね。 ただし、煬帝はそれなりに有名人だからなのか、二週間くらいで書き直されて、 四ヵ月後にまた戻されたけど、最終的に「250字の制限を超えるな」というコメント欄の意見が通り、 中立的な内容の列伝に落ち着いている。 これを見る限りでは、250字の制限を守れているか否かというのは、 編集合戦を止めるほどの説得力があるようだから(個人の歴史観云々とは次元が違う話なので当然ではある)、 武則天や安禄山の列伝が気になるなら250字以内に書き換えてもいいんじゃない? -- (名無しさん) 2016-04-11 22 52 17 でも煬帝ですら一度戻されているってことは編集合戦の要因になりうるってことじゃないのかな? その時は元の編集者側が折れたのかもしれないけど、今回あるいは次以降もそうなるとは限らない 字数制限を緩和するだけなら補足なりなんなりで残す今の形の方の方が妥協点としていいと思うんだが。 むしろ「この列伝は悪意にまみれている!こんなの俺が認めない!変更させろ」ってなってしまうと それこそ全く収拾つかなくならないか?って話になりそうなんだよな -- (名無しさん) 2016-04-11 23 08 40 http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/126.html 暫定案ですが多くの案を取り入れ ローカルルールを変更しておきました。 列伝作成者(編集者)の意向を 取り入れつつ、正当性に関しての 記述も付け加えておきました。 異論ある場合は当該ページコメント欄で お願いします。 -- (名無しさん) 2016-04-11 23 46 34 晩年は専ら色道に耽り、巨大な女性器の持主でもあった彼女は、齢80超でも巨根の男妾を抱えたと謂う。 武照の列伝から抜粋だけど、こんなもん歴史観だの史実だの 講談だの持出すレベルじゃないよ。ただの卑猥な中傷 クビライにしても、彼の足跡から 中国全土を放牧地にしようなんて 狂人の素行は全くみえない 曹彬に学べという逸話もある -- (名無しさん) 2016-04-10 22 54 21 が指摘してる日時の内容のみ、以前のものに 差替えで問題ないとおもうが -- (名無しさん) 2016-04-14 02 40 44
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2417.html
<ここまでのまとめ> 梟雄董卓に率いられた騎馬軍を用いて、何人の武将を殺せるのかをテーマにプレイ日記を書いています。 縛りは以下の通りです。 1、捕まえた武将は一発登用に応じない限り基本的には処断する 2、しかし相性が125~25の武将は3人まで捕虜にでき、1度だけ登用を実行可 3、相性が125~25の武将で登用に失敗した場合は即解放し、再び捕らえた場合は即処断 4、褒賞は半年に1度で、裏切った武将は優先的に捕獲を狙い、捕らえたら即処断 5、主将にはできる限り李儒、華雄、徐栄、李傕、郭汜、樊稠、胡軫、李粛らの初期メンバーを使う 6、鍛冶はたてない(兵器は木獣と井闌1台ずつ使用中、増やす予定はなし) 251年からここまで12年の間に殺した武将は150人で、以下の人たちが封神台ならぬ封将台に入っています。 (犠牲者リスト、すべて処断or戦死した順) 廬植、王匡、馬休、馬岱、馬騰、馬超、馬鉄、馬雲緑、楊氏、韓遂、龐徳、龐会、梁興、張横/朱儁、皇甫嵩(戦死)、成宜、楊秋、李堪、王伉(戦死)、張嶷、楊柏(戦死)、馬玩、羅憲、程銀、侯選、秦宓、呂凱、楊任、楊松、陳寿/陶謙、廖立、董承、何進、呉巨、張松、郭攸之、劉諶、劉岱、王渾、向寵、荀顗、荀勗、王業、藩濬、閻行、馮習、李氏、司馬昭、司馬伷、孔伷、樊建、傅士仁、濮陽興、毌丘甸、楊肇、馬謖、司馬師(戦死)、申儀/王允、陳到(戦死)、毌丘倹(戦死)、袁遺、顧譚、何晏、司馬攸、司馬炎、楊済、程昱、夏侯威、典韋、司馬懿、司馬孚、司馬朗、司馬望、周旨、羊祜、張春華、王淩、辛毘、呂虔、高堂隆、王祥、王惇、何植、劉辟、王韜、丁儀/関彝、夏侯淵、夏侯恩、曹洪、夏侯和、夏侯恵、傅巽、橋瑁、陳珪、鮑三娘、徐庶、雷銅、呉蘭、劉封、劉琦、鄧芝、陳震、★馬邈(戦死)、曹昂、曹丕、曹植、夏侯徳、万彧、陳登、董厥、呉班、黄忠、黄月英、蒯良、許靖、黄祖、劉琮、趙累、趙範、黄皓、孫皓、曹純、曹爽、裴秀、高幹、劉璿、張紹、沮鵠、呂曠、袁紹、袁熙、袁尚、劉氏、沮授、審配、麹義、辛評、高柔、呂威曠、眭元進、張邈、藩鳳、穆順、曹豹、鄒靖、王桃 (指名手配)なし 全武将の4分の1を殺したことになります。おそらくみなさんのお好きな武将、お気に入りの武将が入っているかもしれません。ごめんなさい。これからより増えていくと思いますが、ご了承くださって、お付き合い頂ければうれしいです。 (董卓軍武将名簿) 董卓、李儒、李傕、郭汜、華雄、徐栄、樊稠、胡軫、董旻、牛輔、李粛(明鏡)、董白、成公英、陸凱、楼玄、張球、張承/胡遵、閻圃、張衛、張魯、徐質(猛者)、費耀(猛者)、楊昂(猛者)/胡車児、李通、于禁、邵悌(威圧)、張繍、賈詡、鄒氏、張済/桓範、蘇飛、国淵、韓忠、歩隲、諸葛誕、蔡琰、左奕、崔林、董昭、夏侯玄、賈充、太史慈、太史享、温恢 /張梁、杜預、楊阜、孫仲、鄧茂、韓徳、張闓、朱異、謝旌、留賛、毌丘秀、鍾毓、張緝、張悌、王異、凌統、劉度、賈華、吾彦、楊奉、公孫康、陳矯、楊祚 董卓軍忠臣メンバー能力表(緑字は育成による上昇を含んで成長した数値、赤字は純粋に成長した数値です) 名前 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 騎馬 コメント 董卓 81(7) 95(8) 69 20(1) 57(20) 徴税 A 悪路王と勝手に綽名する。魅力が低いせいか忠臣以外の武将の忠誠が下がりやすい気がする 李儒 71(10) 26 95(2) 82(7) 38 徴収 A 董卓様の懐刀。統率を上げて戦う軍師に変身。前半の内政が彼頼みだったので政治が伸びすぎ 李傕 76(8) 80(8) 24 1 17 S 舞頸の李傕と綽名する。統率の高い敵将にも突撃しまくって戦死を狙い、敵味方構わず兵を減らすため 郭汜 76(12) 79(3) 14(1) 14 13 A 騎馬だけでなく木獣隊も率いる。彼を使っていると能力値70のありがたみに気付かされる 華雄 83(2) 95(2) 67(11) 41(1) 57 猛者 S 我が軍の急先鋒、天空星華雄。彼が一番武将をひき殺し、捕獲し、処断しており、冥府への送り手 徐栄 83(3) 79(3) 67(11) 44(1) 42 長躯 S 華雄と並んで頼りになる将。第2師団を率いて南方で戦う。今後、彼を用いた別の作戦を考案中 胡軫 78(13) 82(8) 12 15 21 疾走 S 前半は留守番が多かったが、最近成長著しい。俺の騎馬戦法は一味違うぞと言いながら突撃する男 樊稠 78(12) 75(2) 31 25(1) 39 A ここまで目ぼしい活躍はないが、彼だけ水軍をAに育成したので南部制圧で出番が来るだろう 李粛 47(1) 71(2) 60(1) 19(4) 36 明鏡 A 「明鏡」をつけて華雄の副将をつとめる。おかげで結構能力値が上がっている 董旻 50(1) 77(17) 26(1) 16(4) 23 A 兵器をAにして井闌隊を率いている。兵器は武力があればいいので統率はいらないことに気付いた 牛輔 39(1) 78(18) 21 27(1) 37 A 武力を育成して一騎打ちの後詰要員だったが、諸葛誕と義兄弟になったので今後の活躍に期待 張済 71(1) 76(10) 52 53 55 連戦 A 能力に穴がなく使いやすい。張繍軍時代に武力と特技を育成されていた模様。イケメン 第3部 「南船北馬、いや南騎北馬」 第6回 ようやく半分近い城を攻略することができました。 私はダラダラと長い文章を書いてしまうので、読みにくく分かりにくいプレイ日記になってしまっておりますが、ここまでお読みいただいた皆様に感謝したいと思います。 出来るだけ戦死を発生させようと日々突撃を繰り返しておりますが、なかなか発生せず、プレイ日記も盛り上がりに欠けているように思います。 何卒ご容赦ください。 ここからは出来るだけ分かりやすく、面白く書けるように努力いたしますので、先が気になるという方がいましたらどうぞお付き合いください。 それでは董卓軍のプレイ日記を書いていきたいと思います。 264年1月 鄴にて・・・ 董卓「ううむ、爽快であった。いくつもの戦に勝った、そしてたくさんの敵将も斬った」 張済「はい、おめでとうございます。たったの1戦で敵軍を滅ぼしましたからな」 董卓「しかし、乱世とは何があるかわからんもんじゃな。あの袁紹がこうも簡単に滅ぶとはの」 賈詡「さようでございますな。しかし、それほど公孫瓚は手強いということでしょう」 董卓「公孫瓚も騎兵で有名じゃな。我らは勝てようか」 賈詡「公孫瓚軍は南皮、晋陽に兵を集めており、今は平原城で呂布軍と争っているようです」 張繍「さらに公孫軍の騎兵は白馬ばかりで、その白馬を活かした騎射が強力であると聞きます」 董卓「ふむ、だがそれは逆に肉薄すれば対抗できるということじゃな」 華雄「左様でござります。白兵によるぶつかり合いでは我が軍の方が上かと」 賈詡「しかし我が軍は遠征の途上で、兵の補充ができません。向こうは大軍を擁しています」 董卓「そうは言っても我らではとても内政などやってられんぞ」 華張太「・・・(こくこく)」 賈詡「わかっております。ですから敵の意表を突き、このまま進軍しましょう」 太史慈「おお・・・」 賈詡「まずは晋陽です。あの辺りの地勢に詳しい張燕殿と私で鄴の北から常山周りで攻め入ります」 張燕「おう、お任せを」 董卓「なるほどのう、お主らが城から敵を誘き出している間に我ら本隊が南から攻める、と」 賈詡「左様でございます。鄴の守りには張済殿の部隊を残し、全力で敵を討ちましょう」 董卓「よし、参るぞ皆の者、敵の騎兵を殺しつくしてやれ」 華張太「おおー」 賈詡「・・・(さて、南はどうなることかな・・・)」 そのころ新野では・・・ 胡軫「むむむ・・・」 樊稠「ん・・・、おや、どうなされた胡軫殿」 胡軫「おう、樊稠殿か。貴殿は歯がゆくないのか、我らはこの城に取り残されてしまったのですぞ」 樊稠「・・・(何やら前にもこんなことがあったような)、えーと、それはどういうことでござる」 胡軫「よいか、今や我ら南方軍の前線は襄陽と江陵で、この新野は補給中継都市に過ぎないのだ」 樊稠「ふむふむ・・・(・・・あ、長安の時と同じだ)」 胡軫「その我らができることは江夏城を攻めることしかないのだ」 樊稠「なるほど、江夏の城は河から攻めることができますな。しかし肝心の船がないでござる」 胡軫「ふふふ、安心めされよ、既に造船が得意だという許攸という者に命じて船を用意させているのだ」 樊稠「おお、となると出撃できますな。それがしはこう見えても水軍には自信があってござる」 胡軫「では早速、徐栄殿も呼んでくるとしよう。参りますぞ樊稠殿」 樊稠「応っ」 さらに同じころ、江陵城では・・・ 李儒「ふふふ、これからだ、これからなのだ・・・(ブツブツ)」 李傕「おう、軍師殿。どうなされたのだ」 郭汜「何やら考えごとをなされていたのか軍師殿」 李儒「おや、李将軍に郭将軍か。私はもう軍師ではないのだよ。それでも、これからの戦略を考えておったのだ」 李傕「ほう、それはどのようなものなんだ軍師殿」 李儒「もう軍師ではないのだがな、私が思うに劉備軍はこの江陵城に遠からず押し寄せてくるであろうと思ってな」 郭汜「そ、それは困るではないか軍師殿」 李儒「まぁ私は別に軍師ではないのだがな、我らはこの城をあけわたして、劉備軍が入城したところを襲おうと思うのだ」 郭汜「なるほどなぁ軍師殿。って・・・え、一度城をとらせるのか軍師殿」 李儒「・・・(人の話を聞いておるのかタコ助どもめ)」 李傕「城を取らせてすぐに取り返せるのか軍師殿」 李儒「大丈夫じゃ。李傕殿が江陵の主将でいると城の耐久は回復しないから楽に攻められるのだ」 郭汜「そ、そうなのか。それは名案だな軍師殿」 李儒「その後は兵力の減った劉備軍の都市を襲えばよい。董卓様は内政より城の数をお求めだからな」 郭汜「それなら俺らの出番は多そうだな軍師殿」 李儒「左様。期待しておりますぞ、董卓軍の双璧と言われるお二人に」 李郭「おおうっ」 李儒「ふふふ・・・(そして私も軍師の座に返り咲くのだ・・・)」 というやり取りが各地であったと思われるので、今回は 「董卓千里行」、「胡軫船下江」、「李儒荊南攻」 の3本をお送りしたいと思います。ちなみに能力研究ですが「水神」、「洞察」、「指導」が出ており、「指導」を研究しました。 264年1月 この頃、紙芝居でもお分かりかと思うが我が軍は大きく3つに分かれていた。 鄴の董卓軍本隊、新野にいる徐栄の第2師団、襄陽と江陵の李儒、李傕、郭汜らの第3師団である。 襄陽は南へ攻める拠点なので少しずつ内政を行っており、鄴では兵舎だけ立てて城兵の確保をして、馬は洛陽からの補充を待っていた。 新野では新たに蒋欽と厳畯、さらに「造船」もちの許攸が加わり、前回に捕らえた呉将たちと合わせて水軍の準備をしていた。 順番に詳しく見ていきたい。 鄴の董卓本隊は張済隊を城の守りにおいて、休む間もなく晋陽を攻めることにした。 晋陽には60000の兵がいるので、「釣り」を使うことにした。 先鋒 張繍+徐質+鄒氏7000騎、華雄+李粛+州泰(騎神)8000騎、太史慈+太史享(連戦)+王異(指導)7000騎 本隊 董卓+張球+楊奉(連戦)10000騎、董旻+歩隲 井闌8000 別働隊 賈詡+張闓6000騎、張燕+楊阜+楊祚(築城)7000騎 王異は特技を書き換え、楊祚には「築城」をつけ、州泰は劉備軍から新たに引き抜いた武将だ。 先鋒と本隊は壺関から晋陽をつき、別働隊は晋陽の東から攻めて敵をおびき寄せる。 壺関は賀斉将軍が6000で守っていた。 しかし井闌隊があっという間に関を落とす。ここでは誰も捕まえられず。 関を抜け、上党のあたりを北上すると晋陽の難所の一つである陽曲の一本道にさしかかる。 ここには公孫瓚軍による董卓軍歓迎委員会が熱烈な歓待をしてきた。 それは先の賀斉、そして公孫続、龔都、傅彤といった猛将たちであった。 一方の別働隊の方にも敵部隊が迎撃に出てきていた。こちらは公孫範、朱霊、孟宗、文虎らである。 それぞれ4000~5000ほどである。とにかく賈詡と楊阜で攪乱を行って足止めをする。 その間、本隊は一本道の敵と一進一退を繰り返していた。が、我が軍はここで新兵器を投入したのだ。 そう、技巧研究によって開発された豪火球である。これを一本道に向けて発射する。 これで敵軍は大きな被害を受け、敵将龔都は一発目の火球で戦死。 火勢が衰えたところへ張繍が突撃して傅彤隊を撃破、主将傅彤を捕らえて処断。 次いで公孫続隊も張繍隊が撃破して、副将の韓莒子を斬った。 賀斉隊も倒すといよいよ城に取りつき、ひと月で陥落させた。 ここでまたも賀斉と公孫続を逃したが、荀諶と魏攸の2人を処断して、賈範を捕虜にした。 別働隊では張燕が混乱した朱霊を一騎打ちで倒して処断し、賈詡が孟宗と文虎を捕虜にしていた。 挟み撃ちに行った華雄隊が公孫範隊を撃破し、晋陽は董卓軍のものとなった。 新野では造船が行われていて、3隻完成したところで江夏を攻めることにした。 胡軫+費耀(猛者)+朱異9000騎、樊稠+左奕(連戦)+張悌9000騎、徐栄+楊昂(猛者)+留賛10000騎 で湖陽港を出て河から江夏の内政施設と城を攻める。 江夏城は「火神」の名将周瑜が20000で守っているが、配下で目ぼしい将は周泰くらいしかいない。 夏口の側の町を壊すと、あわてたように周瑜隊と周泰隊、留平隊が出てくる。 周泰が夏口港に入ったので出口を塞ぎつつ港を落とす。周瑜隊があたふたしている間に江夏城を攻撃。 樊稠と徐栄が周瑜隊の相手をして、胡軫は江夏城を攻撃する。 こちらの2隊はかなりの被害受けたが、その間に胡軫が江夏を落とす。 その後に3隊がかりで周瑜隊と戦うも周瑜は途中で逃走し、留平隊が夏口から出てくる。 これも粉砕して夏口を抜き、とりあえず胡軫ら3隊は江夏城に駐屯することにした。 264年3月 江陵に向けて劉備軍が出撃したとの報が入る。 永安と長沙から来るようなので李儒をはじめ、以下の軍容で敵をギリギリまで待つことにした。 主力 張梁+賈充8000騎、李傕+孫休(覇王)+毌丘秀(疾走)10000騎、牛輔+諸葛誕8000騎、李儒+胡車児8000騎 後詰 郭汜+陸凱(指導)木獣9000、李通+蘇飛6000騎、凌統+韓徳+温恢(指導)6000騎、張承輸送隊20000 といった面々である。 やってきたのは趙雲、関羽、張飛などの虎将たちの30000で、我が軍は江陵城を出て長坂の渡で待機。 彼らが無人の江陵城を取って内政を始めたのを確認して襲撃した。 趙雲と関羽は内政をしていたので張飛のみが迎撃にきた。もちろん李儒が攪乱して放置。 2、3ターン経ったところで関羽隊と趙雲隊も出てくる。火球に巻き込みつつ城を攻撃する。 関羽の戟兵、趙雲の槍兵の一撃ですごい被害を受けるも、江夏から徐栄隊、胡軫隊6000が駆けつける。 胡軫の「疾走」が趙雲に決まり、李儒も関羽隊を攪乱させ、殴って火をつける。 その間に郭汜の木獣が火を噴いて江陵城を再び落とす。 捕らえたのは太守の諸葛瞻以下、 董允、譙周、向朗、趙広、郤正、華覈、歩協、滕胤 といった面々で捕虜枠が埋まっているので全員を処断した。 最後に趙、関、張の3部隊をそれぞれ撃破した。 264年5月 陳留の城は于禁と成公英が留守を預かっていた。 成公英「うーむ、少しまずいな・・・」 于禁「それはどういうわけだ、成公英殿」 成公英「各地から軍を率いている将たちの戦果が聞こえてきます。この陳留にも25000がいますが・・・」 于禁「たしかに我らは戦果がないな。今回まだ戦っていないのはこの陳留以外では許昌の15000だけだが」 成公英「そうです、そして許昌の杜預殿は新参ですが、古参の私としては忠誠を見せないといけません」 于禁「そうか・・・、では良い案がある。今、曹操軍が呂布軍の小沛を攻めているのだ」 成公英「というと、寿春の北の泗水のあたりでぶつかっているのでしょうか。それが何か」 于禁「うむ、実はな、両軍はなぜか譙や梁といった小沛の西側で戦っている。そこに参戦するのだ」 成公英「なんと、それは好機ですね。すぐに参りましょう于禁殿」 ということで何故か兗州付近でぶつかっている曹操軍と呂布軍の戦いに成公英隊8000騎と于禁隊8000騎を参戦させる。 火球で両軍に被害を与える目論見である。 呂布軍は張遼将軍、張角導師、呂岱提督といった面々。曹操軍の方は徐晃、郭淮、楽進などで、両軍共に精鋭である。 そこへ呂布の同盟軍である我が軍が勝手に参戦し、火球を放った後に突撃するという戦法で曹操軍に襲い掛かった。 曹操軍の部隊は火のついたマスに押し込まれ、火のダメージでかなり兵を損じた。 そうして呂布軍の戟兵部隊と協力し、敵の殲滅に成功。 この戦いで曹操軍の勇将徐晃、郭淮の副将曹髦と曹訓を捕獲して処断した(徐晃は必ず戟兵で出てきて撹乱もきかないので毎プレイてこずる武将)。 また呉の馬忠を登用した。 成公英と于禁は手柄を上げて無事陳留に帰還できた。 話は戻って、同じころの晋陽の本隊。 晋陽城を攻略した本隊は晋陽に駐屯せず、鄴にも戻らず、そのまま南皮へ行くことにした。 なぜなら平原城での戦いで公孫瓚軍は呂布軍に負けて城を取られただけでなく、南皮からの平原奪回軍も退けられたため、南皮城の兵力が手薄になっているためである。こちらは以下の兵力である。 先鋒 張繍+徐質+鄒氏6000騎、華雄+李粛7000騎、太史慈+太史享(連戦)+王異(指導)7000騎 本隊 董卓+張球+楊奉(連戦)8000騎、董旻+歩隲 井闌8000 南皮城には君主の公孫瓚自らが20000で守っている。 我が軍は張燕隊と賈詡隊を鄴の守りに回して、井闌を含めた5隊で攻略に向かった。 迎撃にきたのは張郃、賀斉、傅僉、孟宗らの部隊であった。なかなか手強い相手である。 孟宗は一度捕虜にしたが登用を拒否されたので解放して、再び戦場で見えることとなった。 7月。両軍は南皮の南西でぶつかった。 まず張郃隊は王異の攪乱で放置。傅僉隊も攪乱し、楊奉の連戦で削る。賀斉隊には張繍隊がぶつかる。 最後に華雄隊が孟宗隊に突撃して、迎撃隊を沈黙させた。 この戦いで傅僉と賀斉隊副将の関靖を斬り、賀斉と牛金を捕虜にした。 この後2ターンで公孫瓚の守る南皮を落として、以下の武将を捕らえた。 公孫続、公孫範、辛憲英、孟宗、劉巴、梁緒、そして公孫瓚 君主公孫瓚を含む全員を処断した。 これにより公孫瓚軍は公孫越が継ぐことになり、数人の武将が下野したようだ。 結局、公孫瓚自身とは戦場で戦わないまま斬ったので敵の騎馬隊とはぶつからなかった。 最後に張郃隊を全部隊で叩いて壊滅させ、張郃は北平に退いた。 さすがに兵も減ってきたので、このあたりで鄴から輸送隊を出して補給させることにした。 渤海の北、天津近くの渡のあたりで董卓軍本隊は陣と軍楽台を作って駐屯させた。 264年7月 江陵の第3師団は公安港から兵力25000の武陵を攻めていた。 先発 張梁+賈充9000騎、李傕+孫休(覇王)+毌丘秀(疾走)12000騎、牛輔+諸葛誕9000騎 本隊 郭汜+陸凱(指導) 木獣10000、李儒+胡車児9000騎、李通+蘇飛6000騎 後詰 凌統+韓徳+温恢(指導)6000騎、張承輸送隊10000 武陵からは王平と張翼、周泰が迎撃に出てくる。 武陵近辺は平地が狭くて森が多いため、騎兵の力をうまく発揮できなかった。それでも張梁隊の「妖術」で混乱させて敵部隊を撃破できた。 良将王平を斬った後、郭汜隊が武陵城を落とした。 張翼、孫乾、沙摩柯、諸葛喬、孫魯班、周泰 といった武将たちを捕らえ、孫魯班と周泰を捕虜にして残りは斬った。 264年10月 この頃の我が軍の人事では既に牛金、周泰と孫魯班は登用できていた。また賀斉は脱獄していた。 さらに鄴では在野の黄巾将たちを盛んに登用して、何儀、程遠志、高昇、張曼成の4人を得ていた。 さて、その鄴は賈詡が新加入の将たちを使って徴兵し、洛陽から補給も受け、平和であった。 がしかし、ここに急を告げる斥候からの伝令が鄴の城門に駆け込んでいた。 賈詡「まずいな・・・、張燕将軍、飛燕の張将軍はおられるか、それから張済将軍も」 張燕「・・・おう、何事かあったか軍師殿」 賈詡「今、見張りから連絡があってな、薊の60000のうち40000が晋陽へ出撃したそうだ」 張済「ほう、それは大軍だな。だが董卓様には支障はないな。晋陽の兵力はどれくらいなのだ」 賈詡「0だ、一兵もおらん。晋陽は放棄してきたのだ張済殿」 張済「なんと。ではどうするのだ、その大軍と晋陽は捨て置くのか」 張燕「いや、今ならまだ討つ機会があるぞ。あの中山のあたりは道が狭く1部隊しか通れんのだ」 賈詡「よし、ならば討てる。すぐに出撃だ、お二人とも用意を」 張済「だが南皮へ兵を輸送に出したばかりで、この鄴には兵が18000騎しかおらんのだぞ」 賈詡「大丈夫だ張済殿、兵が足りない分は金と手間で補うのだ・・・(ニヤリ)」 ということで、賈詡、張燕、張済の3隊はすぐさま鄴から北へ向かい、薊の部隊を襲うことになった。 作戦は一本道の出口にひたすら豪火球を作り、敵部隊にまとめて被害を与えるというもの。 これによって敵軍は莫大な被害を受け、特に先頭を進んでいた敵将丁原は焼死してしまった。 恐るべし、豪火球。早くも2人目の犠牲者である。 それでも8部隊兵力40000を我が軍は5000ずつの3隊で迎え撃つため、どうしても突破されてしまう。 だがそこを張燕が突進で押し返すという二段の構えであった。 さらには最後尾を進む敵将公孫恭の忠誠が下がっていたので、これを寝返らせることに成功した。 しかし戦場の周囲には森が多く、騎兵戦法が使えないことも多く、最後は凄惨な叩き合いになった。 張燕が敵の宿将厳綱を討ち取り、張済も劉和を斬った。賈詡は孫観を捕虜にした。 こうして薊の敵部隊を全滅させたが、我が軍も最後は3隊あわせて7000ほどであった。 同刻、本隊も南皮で補給が終わり薊と北平に向けて進撃を開始していた。 薊からは最後のあがきとして王門と鄒丹が、北平からは田予が先鋒で張郃、李厳、賀斉、田楷などが出てくる。 華雄隊と張繍隊が薊の2将を撃破して斬り、董旻隊がほとんど空の薊を攻撃して落とす。 薊の城では張南、田疇、単経を斬った。 一方で北平へ向かう易京の隘路では押し合いの混戦になっていた。 ここで鄴からそのまま援軍に駆け付けた張燕隊の突破により、田予隊の副将張華が戦死する。 さらに太史慈隊が田予を討ち取り、董卓軍は北平の西の平野を目指した。 敵軍にはなかなかの将が揃っており、これが公孫軍との最後の激しいぶつかり合いとなるだろう。 265年1月 両軍の戦闘が始まった。 董卓軍6隊50000と公孫越軍5隊40000が正面からぶつかる。 井闌の董旻隊は待機しているので実質同数での戦いである。 まず張燕隊がいく。次いで太史慈隊。そして董卓隊。一気に押し込んでいけるのは騎馬突撃の醍醐味である。 敵の先陣の張郃隊と李厳隊を突き抜け、挟み撃ちの格好を取る。騎兵はこの戦術が強い。 張郃は再び攪乱させ放置、李厳隊の兵を削る。この間、賀斉隊の火矢が痛い。 張繍が李厳隊を倒して李厳を斬り、華雄隊も田楷隊を撃破して田楷を処断。賀斉を囲んで倒し、捕獲。 後から出てきた公孫越隊を撃破し、最後に張郃隊を倒して張郃を捕虜に。 この戦いの間に楊奉と州泰が寝返ってしまう。「騎神」もちの州泰の離反は痛い。 この後、北平の城を落とし、公孫越、蒋義渠、州泰、陳蹇、公孫度、孫礼、顧雍を捕らえた。 陳蹇と孫礼、公孫度は登用に応じ、顧雍を捕虜にして、残りは処断。 公孫越が死んだので君主にはなんと楊奉がなった。これによりまた数人が下野した。 265年4月 まさに騎虎の勢いで我が軍は襄平の城に迫った。 軍勢を2つに分けて張燕、華雄を先行させ、残りは大遼水の渡を越える。 張燕らは襄平の北、玄莵のあたりで智将田豊率いる5000とぶつかる。 「猛者」で負傷させて、あっという間に撃破。あわれ忠臣田豊は主君の仇も取れず、遼東に散った。 本隊がわずか4000の襄平城を落とす。 田豊が死んだ襄平には楊奉と季雍という武将の2人しかいなかった。 両名を斬り、ここに旧公孫瓚軍は滅亡した。 こうして董卓軍は平原城をのぞく河北の討伐に成功し、またまた董卓様の官職があがるのであった。 今回の犠牲者 49人 龔都(戦死)、傅彤、韓莒子、荀諶、魏攸、諸葛瞻、董允、譙周、向朗、趙広、郤正、華覈、歩協、滕胤、徐晃、曹髦、曹訓、傅僉、関靖、公孫続、公孫範、辛憲英、孟宗、劉巴、梁緒、公孫瓚、王平、張翼、孫乾、沙摩柯、諸葛喬、丁原(戦死)、厳綱、劉和、王門、鄒丹、張南、田疇、単経、張華(戦死)、田予、李厳、田楷、公孫越、蒋義渠、州泰、田豊、季雍、楊奉 新加入 17人 厳畯、蒋欽、許攸、文虎、賈範、牛金、孫魯班、周泰、何儀、程遠志、高昇、張曼成、公孫恭、孫観、陳蹇、孫礼、公孫度 第7回 前回は河北制覇を全部書いたので、とても長くなってしまい大変申し訳ありませんでした。 今回も前回の続きで南征が中心ですが、いよいよタイトル通りいろいろ殺伐としてきました。 これからもお付き合いくだれば幸いでございます。 鄴にて・・・ 牛輔「公就任、まことにおめでとうございます、董卓様!」 董卓「おお、おうおう、感謝するぞ皆の者、まことにめでたい、めでたいことじゃ」 賈詡「皆の者、これからはもう董卓様とではなく、董太師とお呼びするのだ」 華李郭徐「おおー、董太師、董太師!」 董卓「くるしゅうない、くるしゅうないぞぉ皆の者」 李儒「(ぐぬぬ、賈詡め、わしも今言おうと思ったのに・・・)」 張済「董卓様…いや董太師、いま鄴の農民が銅雀を見つけたとの報告がっ」 賈詡「銅雀ですか。むむ、これは吉祥瑞祥でございますな」 胡軫「公就任のこの時にかような瑞祥が見つかるとは、太師のご懿徳によるものかと」 董卓「うむうむ、すぐに銅雀をまつる台を築くのじゃ」 李儒「(ぐぬぬぬぬぬ、おのれ胡軫め、今わしが言おうと思ったのにー)」 董卓「よしよし皆、いまは大いに飲んで騒いでくれ。だが、また明日からはいくさじゃ、頼むぞ皆の者」 一同「おおーっ」 わいわい… というわけで北をとった我が軍は南に向かい攻め入るのでありました。 他勢力はというと、 呂布―平原、北海、下邳、小沛、濮陽。劉備―永安、零陵、桂陽、長沙、柴桑 王朗―建業、呉、会稽。鄧艾―成都、江州。孟獲―建寧、雲南。袁術が廬江、曹操が寿春、鍾会が梓潼。 我が軍は鄴、江陵、武陵に60000~70000の兵が集まっており、その他は陳留と江夏に20000ほどで、それ以外の町は5000~8000の守備兵がいるくらい。 河北は鄴以外は兵0で将も0で放棄しています。つまり内政をやっていられないので少数精鋭でいくしかないという状況です。 265年4月 南の拠点、武陵。 武陵の内政、軍事施設建設がひと段落つき、再び進撃を開始することにした。 第3師団は凌統隊と張承隊を武陵に残して、李傕、郭汜、李儒、牛輔、張梁などが40000で向かった。 零陵には3人の欲しい将がいる。魯粛、王双、そして孫策である。城は兵力が18000しかないがその3人には油断はできない。 迎撃には孫策隊と馬忠隊、魏延隊が出てきた。魏延は李儒により盆踊りをさせて撃破、次に馬忠隊を集中攻撃して撃破。 馬忠を斬って、意中の王双を捕虜にする。 だが張梁隊の副将賈充が途中で劉備軍に寝返っていたので「妖術」はほぼ封じられてしまった。それでも郭汜隊の木獣が零陵を落とした。 太守の魯粛、孫朗、孫匡、樊氏、馬遵、陸鬱生といった武将を捕らえたので、魯粛と陸鬱生の二人を捕虜にし、残りは斬った。 さて、問題は孫策隊である。小勢で副将はいないが戟兵なのでめちゃくちゃ強い。 なんとか李儒の攪乱がきいて全軍がかりで倒したが、被害は大きく、肝心の孫策も逃してしまった。 265年6月 寿春の曹操軍が王朗と呂布によって2方面から攻められていた。 我が軍は漁夫の利を狙って、陳留の于禁たちを寿春に向かわせることにした。 まず王朗軍が江都港方面から20000がはるばる来ている。一方で小沛からは呂布、張遼、張宝などの精鋭が25000ほど。 対する曹操軍は40000ほどだが、そのうち10000は濡須港に駐屯しているので実質30000。 曹操の主力部隊は夏候惇、夏候覇、郭淮、呂蒙、曹彰などの精鋭。 両軍は北の渡しで呂布軍とやりあっていて、早速、呂布の突撃で曹操軍の卞喜を轢殺していた。 ここに于禁隊10000、成公英隊10000、馬忠(呉)隊6000も参戦する。 必殺の火球攻撃により夏侯覇隊副将の楊修が戦死。 夏侯覇隊を壊滅させ、副将の曹宇を斬ったことで、ついに攻め手は寿春北の渡しを突破した。 すぐさま寿春城の北で乱戦となったが、なんとここで王朗軍が水門を破壊。 呂布軍は張宝隊が全滅し、我が軍も馬忠隊と成公英隊が全滅という憂き目に。 最悪なのは曹操軍で、主力部隊が全滅して城壁もボロボロ、あの曹操もここまでであった。 呂布軍の文欽隊が寿春を陥落させ、曹操軍は滅亡。多くの武将が呂布に召し抱えられることとなった。 ちなみに王朗軍は呂布隊と張遼隊にボコボコにされて全滅しました。 265年8月 襄平からの輸送部隊が到着し、ようやく鄴に本隊の軍勢が揃った。 この間に鄴城の内政と在野になった旧公孫瓚軍の武将の賀斉と張郃を登用していた。 用意が整ったところで我が軍は呂布軍との同盟を破棄。渡しで待機させていた本隊で一斉に平原城に攻めかかる。 先鋒 張繍+徐質(猛者)+鄒氏12000、華雄+李粛(明鏡)+賀斉13000、張燕+楊阜(指導)+賈範(火神)11000 本隊 董卓+張球+楊祚(築城)13000、太史慈+太史享(連戦)+王異(指導)11000、張郃+孫礼+牛金10000 兵器 張済+歩隲+文虎10000 輸送隊 何儀(運搬)1000、高昇(運搬)1000 平原の太守は張楊で、兵も12000ほどだったので迎撃にきた宋謙を斬って、あっという間に陥落。 張楊は逃したが、城にいた逢紀、陸績を斬った。 9月。本隊には兵糧輸送部隊をつけて、平原を取った勢いで北海城を目指す。 北海の太守はなぜか夏候尚で、配下も少なく、兵も15000ほど。 どうやら呂布軍は王朗軍と江都港のあたりの水上戦に人を割いていて、北は油断していたようだ。 さらに寿春の呂布軍本隊は大量に捕獲登用した旧曹操軍の武将たちの俸禄にも苦労しているようだった。 早速、迎撃にきた夏侯尚と卑衍の部隊を2隊を撃破して、2将を斬り、北海城を攻める。城には張楊などがいたが、やはりすぐに陥落。 またも張楊は逃すも、婁圭を斬った。 12月。いよいよ敵軍の一大拠点である下邳を目指す。 下邳には40000の兵がいて、おそらく迎撃には30000がでてくるはずなので、こちらも同数で出陣。 上記の編成の中から、張燕隊12000、太史慈隊10000、張郃隊10000を出すことにした。 しかし下邳。この城にはあの武将がいたのであった。 侵攻を知らせる伝令が走り、下邳城の廊下を駆けていく。 張楊「急報でござる、急報でござる!」ドタドタドタ 侯成「なんだなんだ、ご城主の前で騒々しいですぞ、張楊殿」 張楊「それも当然でござる。ついにこの城に董卓軍が押し寄せてきたようなのですぞ」 侯成「な、なんと、ついにか……(振り向きながら)どうなさいますか、ご城主」 ??「……フン、もちろん楽しませてもらう」 というわけで下邳城の北で戦闘開始。 張燕「やあやあ、我こそは張飛燕なり!」 太史慈「我らが騎兵の動きについてこられるか!?」 侯成「くっ、我らではかなわぬか…、ご城主、お願いいたす!」 張燕「……ぬうう、なに、まさか…」 呂玲琦「……涼州の騎兵か、できる、と聞いている。楽しませてもらうぞ」 太史慈「女…だと…」 呂玲琦「フン…、おい貴様、準備できているな?」 曹彰「応っ、当たり前よっ、いくぜっ」 張燕「し、『疾走』はまずい…。しかも2人だと…?」 りょ、りょ、呂玲琦だー。 敵軍は呂玲琦と曹彰を寿春から急遽下邳に回したらしく、2将が騎兵で出てきたのだ。彼らの『疾走』により我が軍は混乱。 部隊数は向こうの方が多いので被害も甚大。董卓騎兵軍は初の敗北を喫し、30000の兵が半分ほどに討ち減らされ、北海城に撤退した。 この敗北により本隊の侵攻は遅鈍することとなってしまった。 (ちょっと遡って)265年7月 零陵の李傕、郭汜、李儒らは桂陽を攻めていた。 上記の編成に加え、張承隊7000も補充して桂陽の19000と当たる。数はこちらの方が50000と多いのだが、敵は猛将ばかりである。 太守の孫堅をはじめ、孫策、黄蓋、韓当、呉懿、王濬、賈逵といった者たちが次々に迎撃にくる。 しかも戦場は森が多く、一本道でしか戦法と火球が使えないという地勢。 自分たちより能力が上の人たち相手に正面から殴り合いをするという最悪の展開になった。 結果、50000騎が30000ほどまで討ち減らされたが、こちらも王濬と呉懿を討った。 孫堅隊は李儒で攪乱させ壊滅させたのだが、またしても孫策+賈逵の4000と削り合いになった。 桂陽城は郭汜の木獣隊が陥落させ、孫堅は逃したものの韓当、祖茂、王粲を処断。 最後に全軍で孫策隊に突撃して壊滅させ、賈逵を捕らえて斬った。 また、残念なことに、この戦いの間に「疾走」もちの毌丘秀が劉備軍に裏切っていた。 265年10月 桂陽を落とした南征軍は気力回復してすぐに、荊南最後の都市である長沙に向かった。 長沙には20000の兵がおり、太守はあの姜維であった。その配下には孫策、程普、黄蓋という呉将と裏切り者の毌丘秀などがいる。 ここで武陵に残してきた凌統隊7000騎を羅県港から上陸させ、「釣り」をしかける。 長沙からは黄蓋隊5000が出てきた。同時に桂陽から本隊30000も侵攻する。 ぶつかり合いはまず汨羅の淵で凌統の突撃から始まった。 武力90の凌統の突撃で黄蓋隊副将の施朔が戦死し、2度目の突撃で一騎打ちが発生。凌統が勝ち、黄蓋を捕虜にした。 長沙城の南でも激戦が始まり、姜維隊、孫策隊、程普隊4000ずつとぶつかる。 特に姜維、孫策は槍兵の突きで1000は減るので脅威であった。 火球と戦法で兵を減らして敵部隊を一掃し、程普を捕らえ、姜維隊副将の裴元紹を斬る。 年が明けて1月にようやく長沙を落とす。 関寧、蒯越、麋竺、そして裏切り者の毌丘秀などの武将をきったものの、やはり姜維や孫策などは捕まえられず。 266年1月 南征の最後は柴桑である。 ここは、江夏に駐屯させていた胡軫らの30000を張悌と屯田もちの国淵らに授け、陸口港に入らせる。 陸口から繰り返し出陣して柴桑の施設を壊し、敵将の周瑜を疲弊させる作戦である。 周瑜が40000で守る柴桑城を落とすのはもう少し先になりそうだ。 ここでようやく南征にひと段落ついた。 荊南攻めで失った兵力を襄陽で張魯が補充する。それをまず武陵にまわし、長沙の兵力も合流させる。 既にもう次の作戦である。 永安には劉備軍60000と猛将たちが籠っているので正攻法はやめ、周りから取ることにした。 徐栄、胡軫らには漢中から梓潼を通って鄧艾の成都を攻めさせる。 そして李傕、郭汜らの軍団には武陵からはるばる南蛮を攻めさせるという作戦である。 4月。 南蛮へは大掛かりな遠征で、時間がかかるので、揃った部隊からどんどん出陣させる。 武陵は捕虜から登用した魯粛と黄蓋、新加入の鮑隆に任せて、主力の全軍で出陣する。 ふた月かかって建寧に入ったところで孟獲軍が迎撃に出てくる。両軍の先鋒が山深い南蛮奥地の牀柯のあたりでぶつかる。 こちらは郭汜、牛輔の20000で、敵は大王孟獲と帯来洞主の2隊18000、やや遅れて花鬘と鄂煥の2隊12000。 孟獲「おい、おまえら、この南蛮に攻めてくるとはいい度胸じゃねえか」 郭汜「おう、貴様らなんぞ我らの敵ではないわ」 孟獲「上等じゃねえか、おまえら絶対に返すわけにはいかねえな!おう、帯来、やっちまえ」 帯来洞主「おうっ!」 牛輔「なんの!このっ」 という感じで戦闘開始。 最初に突出してきた帯来隊を撹乱からの一騎打ちで牛輔が撃破して、捕獲、即処断。 孟獲隊はなかなか硬く、手こずっている間に敵軍の後続部隊とこちらの李傕、李儒などが追い付く。 花鬘と鄂煥には李儒の偽報で帰ってもらい、孟獲を攻撃。 敵は戟兵なのでこちらもまとめてダメージをもらう。が、なんとか孟獲隊を撃破し、花鬘隊と鄂煥隊においついて殲滅する。 迎撃を跳ね返した我が軍はここからふた月ほどかけて雲南に向かう。 ここで少し時間を遡って266年4月の荊北の様子を見る。 まず襄陽の張魯らが今度は成都攻め用の兵を用意している。 成都攻めには徐栄と胡軫に加え、黄巾の張曼成、北海で登用した管亥を主将に起用する。 また、徐栄の守っていた江陵城は樊稠、李通、臧覇らに50000で任せることにした。 江夏は杜預が5000で駐屯中、宛も吾彦が5000で涼州から来る兵糧の輸送を担っている。 新野でも徴兵と造船を行っており、漢中と汝南、陳留に増派する分の兵力60000をこつこつと貯めていた。 徐栄らは襄陽と新野から20000ずつ兵を受けて漢中に向かっていた。 その頃、大兵力の新野は董旻が太守として守っていた。 董旻「はぁ・・・ワシの兵器部隊が張済なんぞに回されてからというもの、どうも面白くない」 許攸「おや、董旻どの。どうかされましたかな?」 董旻「いや、新野に来て以来まったく活躍の場がなくてなぁ。兄上はどう考えているのかと」 許攸「董太師のご批判とは、な、なんと畏れ多い」 董旻「構わん、ワシは弟じゃ。ここまで来られたのもワシの兵器部隊がよく働いたからであってな」 許攸「・・・・(ほう、私もこんな田舎で働くのは真っ平なのだ)」 董旻「ワシが精魂込めて火矢を作ってだな・・・あれをああしてこうして(ブツブツくどくど)」 許攸「・・・(使わせてもらうか)、董旻どのはご存じですかな?」 董旻「ん?なんのことじゃ?」 許攸「今の太守は董旻どのですが、新参の公孫度という者がここの太守になるというのを」 董旻「なんと・・・ではワシは異動か?」 許攸「いえ、そういうわけではないようで、そのまま公孫度の下でしょう」 董旻「むむむむ、ワシを馬鹿にするのもこれ以上は許せんぞ!」 許攸「・・・実は私はその公孫度とは旧知でしてな。どうやら彼は着任して造反するようなのです」 董旻「なんだと・・・?では、裏切り?」 許攸「そうです。私もここで終わるつもりはありません。董旻どのはいかがされます?」 董旻「・・・・わかった、やる、やってやる。兄にワシの本気を見せてやる!」 デデーン どうなる?、と皆様に思っていただいたところで、容量の関係によりまた次回! 続きはもう出来ているので順次アップさせていただきます。今回も長々とおつきあい頂きありがとうございました。 今回の犠牲者 27人 馬忠、孫朗、孫匡、樊氏、馬遵、卞喜(戦死)、楊修(戦死)、曹宇、宋謙、逢紀、陸績、夏侯尚、卑衍、婁圭、王濬、呉懿、韓当、祖茂、王粲、賈逵、施朔(戦死)、裴元紹、関寧、蒯越、麋竺、毌丘秀、帯来洞主 指名手配 7人 賈充、毌丘秀(処断済)、公孫度、呂拠、王修、董旻、許攸、孫仲 新加入武将 7人 賀斉、張郃、王双、魯粛、黄蓋、鮑隆、管亥 董卓軍忠臣メンバー能力表の徐栄が徐英になってる -- 名無しさん (2011-07-23 16 56 32) 冥府への送り手www 好きな武将の太史慈には裏切って欲しくない -- 名無しさん (2011-07-24 11 05 15) 馬超よ~~~~ -- 名無しさん (2011-07-25 22 25 58) 名族たる私がこんなところで -- 袁紹 (2011-07-25 23 37 31) コメントありがとうございます。徐栄を修正しました。馬氏や袁氏など漢朝系の武将は董軍と相性最悪なので今回は泣く泣く斬っています…。 -- 董卓の日記著者 (2011-07-26 09 52 43) 遅くなりましたが更新させていただきます。 -- 董卓の日記著者 (2011-09-27 11 21 39) 乙です -- 名無しさん (2011-09-28 12 48 20) これって味方の裏切りもあえてねらってます?それともトウタクだから? -- 名無しさん (2011-09-28 18 37 07) 不用意に忠臣の誰かが轢き殺されて、郭汜「李傕ゥーー!!」みたいな展開キボン -- 名無しさん (2011-09-28 21 35 55) コメントいただきありがとうございます。↑2の方、真の忠臣は裏切らないと信じ忠誠はほぼ放置してます。↑1の方、そうなったらなったで面白いですねー。忠臣は大事に育てていたのですが… -- 董卓の日記著者 (2011-09-30 01 02 28) あと、恥ずかしながらCOMに白兵戦で負けましたw しかも騎兵同士の…w -- 董卓の日記著者 (2011-09-30 01 03 44) 疾走は強すぎだ、とにかく森で逃げて闘うしかないですな!曹彰まじ最強っす -- 名無しさん (2011-10-02 19 38 13) 忠臣の誰かが裏切っても銀英伝のロイエンタールみたいでおもしろいかも。 -- 名無しさん (2011-10-05 19 18 48) トウタクと親愛設定されてる忠臣は無理だけど。 -- 名無しさん (2011-10-05 19 20 03) 筆者もこのままいくと忠臣7人しか残らないんじゃないかと心配し始めました。最初に親愛設定しておいてよかった。だが董旻は兄弟なので親愛つけてなかったんですよね・・・ -- 董卓の日記著者 (2011-10-12 10 36 22) ↑4の方へ。曹彰の疾走は強いですね、やはり私の胡軫の疾走より撹乱率が高いようです。でも出来ればこのメンツで森での殴り合いは避けたいです… -- 董卓の日記著者 (2011-10-12 10 41 09) ここまでお付き合い頂きありがとうございます。最近は敗戦続きでまだまだ董卓軍の戦いは続くようです。次回もお付き合いいただければ幸いでございます。 -- 董卓の日記著者 (2011-10-12 10 43 14) 名前 コメント